小さな喫茶店

母の介護度が進み、
毎日、側に居る時間が増えていきます

ひとりで、自由気ままに、
どこにでも行くタイプだったのですが、
コロナもあり鬱積する日々です。

ですが、少し前、
用事もあったため、母を預け、
足を伸ばし、ひと息つくため
梅田の阪急百貨店の老舗カフェに入りました。
普段ならとても並ぶカフェですが、
平日夕方だからか、
すんなり入れ、のんびりでき、
空間と時間と美味しいお茶を楽しみながら、久々の感覚で、
癒されました。
贅沢な時間でした。

母は、
西洋の綺麗なメロディーラインの歌が好きな嗜好。

『小さな喫茶店』
皆さんあまり知らない歌ですが、
1928年、ドイツ.ベルリンで発表されたコンチネンタル.タンゴ。
1934年、日本に入ってきました。

子供の頃から、母が歌っていたのを聴いて、
完全に昭和の懐メロと思っていましたが、
「なぜ、タンゴっぽいんだろう?」
と、不思議に思い、
何気にこの洒落た歌が私も耳についていました。
歌詞も昭和初頭にしては可愛らしい歌詞と言い方。

最近、母を介助するとき、
この歌を歌うと、母も一緒に歌い出します。
子供のようです。
可愛らしくも感じます。

当然、お互い思うようにいかないとき、
母が子供のように怒るとき、
歌うと、私のイライラも吹っ飛び、母も、記憶はすぐ飛ぶので、何事もなかったかのように歌い出します。

歌の力は凄い…と、介護を通して、再認識しました。
腹が立つことがあると、
自分自身、この歌が歌えるかどうかで、
自身の心のバロメーターにしています。
母に苛立っていると、この歌は私の口からは出てきません。
まだまだ、心が狭い…と反省しながらも、やっぱり、出てきません。

まだ、一緒に歌うことも多い?と思いますが、

今は、汗を流しながら、
自身の気持ちを鎮めるため、
母の気分が良くなるために歌っています。

いつか、この歌をひとりで口ずさむとき、

涙に変わるんでしょうね…。

夏の光と影

7月、
高校の定期演奏会に、
生徒がシベリウスのコンチェルトで出させていただきました。
3年間一生懸命頑張り、この曲にかけていた姿は、
高校生ながら、尊敬の念も感じました。

日本人が、ましてや高校生が
北欧フィンランドのことを感じようと思っても、
なかなかヒントがありません。
歴史、自然、国民性、
昨今は、ウクライナ関係で、北欧がどのような方針になるのか、目が離せない状態ですが、
それでも、遠い国です。

しかし、
ホールの澄んだ空気、
張り詰めた空間で、
今の彼女なりに聴衆を魅了させ、
見事にシベリウスを弾ききってくれました。

8月には、
ハンガリーからリスト音楽院の教授陣が来日され、
レッスンが行われる予定でしたが、
突然の感染者増加。
残念なことに、中止になってしまいました。

コロナ禍で高校に入学し、
プラハ、ザルツブルク、ウィーンの修学旅行も行けず、
リスト音楽院、プラハ音楽院のレッスンも受けれず、
なんとも可哀想な世代です。

当然、私達の世代はこのような贅沢な環境ではありませんでしたが、
世界が近くなった昨今、
多感な時期に、
異国のエッセンスを吸収するチャンスがある。
乗らない手はありません。

最初から無かったチャンスと、
用意されていたにも関わらず、
世界的なパンデミックで、手にできないもどかしさ。
悔しさは違ってきます。

シベリウスは、
フィンランドが帝政ロシアから独立しようと抗い続けるなか、
フィンランドの国土を投影するかのような国民性豊かな作品を生み出しました。

特にバイオリンに愛着があったのにも関わらず、
始めるのが遅すぎた…と演奏家になるのを断念した人生でもあります。

しかし「フィンランディア」のように第二の愛国歌として、世界中に知られるようになるほど、
北欧を代表する作曲家です。

北欧の、
夏の沈まない太陽。
裏腹に、冬の厳しさ。

日本の頑張っている若者も、
この夏、
同時にそれを体感しています。

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