2025年

四季ではなく二季かしらと思うほどの2025年。
日本には四季があるからこそ生まれた文化、文学、芸術があるのに
100年後はどうなっているのでしょうね?

今秋は、
オーケストラや室内楽、
そして、かつての生徒が弾く
ブラームスの協奏曲等に浸ることができ、

また、キリスト教会では、
バッハ.パルティータ、
オルガンとのヘンデル.ソナタ、
ヴィターリ.シャコンヌ、
何よりオルガンで聴けたことが、
ヘンデルの時代もこうだったのだろうと、
時空を超え、当時の聴衆と化していました。

今春は、
大阪滞在中、
父が単身赴任していた岡山へ足を伸ばしてみたり、

12月には、
所用で犬山へ。

犬山も父が大病をしたあと、働かせていただいた場所。
木曽川を挟んだ近い土地とはいえ、なかなか行く機会がなく、
観光客も多くなった今、
かつての『名鉄犬山ホテル』だった
『ホテルインディゴ有楽苑』も、
何か、かつてとは違うと思いながらも、
見上げれば変わらず犬山城がそこにあり、
どこかに父の面影を探してしまいます。

父が亡くなり10年。
何かと父の思い出に浸る年だったのかしらと、
父の好きだった、チャイコフスキー『悲愴』の瞬間的に美しいメロディーが、よぎっています。

犬山城を背に帰路へ。

今年もいろいろな舞台を観ることができ、
贅沢かしらと若干の罪悪も感じながら、
こうして犬山に降り立ち、
父を身近に感じることが何よりの供養だと、
鼻歌を交え歩いています。

まっすぐ帰宅していた真面目な父と違い、
何か気になるお店があると入ってみたくなる私。

『ビストロ猫』をみつけ、ランチでひと休み。

はや師走。

私に関わってくださった方々に感謝を抱きつつ、
来年は早々に発表会もあり、
エンジンフル回転しなくてはと。

そして、また『犬山遊園』駅まで父の眼となり歩く。

ふと…犬山なのに…猫…なのね。

来年も皆様、無事に過ごせますように。

2017-2024 岩﨑バイオリン教室