名フィル凄かった

私…恥ずかしながら、
ガーシュインのピアノ協奏曲って知らない。。。聴いてみたい。
と思い、
5/17土曜日、愛知芸文ホール、
ベルリオーズ「幻想交響曲」とのカップリングプログラムの名フィル演奏会に出向きました。

フランスの
指揮者、J=クロード カサドシュ。
ピアノ、トーマス エンコ。

実際のお祖父ちゃんとお孫さんの共演です。
カサドシュは90歳!

どんな曲だろう?
ピアニスト登場!
なんと垢抜けた深いオレンジの衣装。
長身の美青年。物腰柔らか。

ガーシュインの音楽、
ニューヨークの喧騒が聞こえるようです。
時々、『ラプソディインブルー』や『チャールストン』、『ラグタイム』を想起させ、
グローフェの中西部の馬の音?と思わせたかと思うと、またニューヨークの宵、
摩天楼をペントハウスから眺めているかのようで、
最後は長い美しい夜が終わりを告げ、眩しい太陽が顔を出す…なんて感じの終わり方。

カデンツァはJAZZも弾きこなすピアニストの即興演奏。
ガーシュインだけどピアニストのパリのエスプリも感じ、
なんといっても、ピアニッシモの美しさと繊細な音色。
私の席からは一音に込める手さばきがよく見えました。

久々に素晴らしい演奏を聴いたと、これは記憶に残ります。

『幻想交響曲』
これもまた、グロテスクでもありながら妖しく激しく美しく、
90歳の円熟味と、若手が多くなった名フィルとの最高のバランスの演奏で、
首席客演コンマスの荒井英治先生。
先頭をきって、オケの手綱さばきをし、素晴らしい仕事ぶりで、オケ全体が熱演でした。

終演後、
「なんか二曲共凄かった」と、
幻想、幻覚に浸りながら、夢から覚めた瞬間ですが、
どうやら、
この余韻は長く続きそうです。

55年前の記憶

1970年、父が岡山に単身赴任していました。
家の整理の際、住んでいたアパートの住所が出てきて、
調べたら岡山駅から2.5キロ。

「よし、レンタサイクルで行ってみよう。父と歩いた旭川の堤防から岡山城が見えたはず」

55年ぶりに岡山に降り立ち、
『ももちゃり』なる自転車でいざ!!!
途中、「○○の住所はこちらですか?」と、道ゆく人に尋ね、到着。

新しい家が建っていて、
私の中の記憶とは全然違っていましたが、
それでも、
家族で歩いた、
岡山城を見ながらの旭川の堤防は、
変わらず、素敵な景観です。

「お父さん!働かせていただき、
住まわせていただいた岡山にお礼に来たよ」と、
55年前の、何もわからなかった子供の頃の記憶を辿り、
暑くも寒くもないサイクリング日和の天候にも感謝していました。

そして、
ハタと思いつき急遽、
倉敷の大原美術館へ。

「どれか好きなポストカードを買っていいから」と母に言われ、
子供ながら手にしたのが、
シダネルの『small table in evening dusk』

これも、55年前の記憶の絵画。

私のなかでは、
この絵にはドビュッシーの『美しい夕暮れ』が聴こえてきます。
できればチェロの音色で。

55年前、
岐阜から特急『つばめ』が走っていました。
もちろん今の新幹線の時間で岡山に行けるわけではありませんが、
父が、
岐阜から離れる時、岐阜に戻る時、
どんな気持ちで、長い時間『つばめ』に乗っていたのだろう…と、
新幹線『さくら』に乗りながら
涙が溢れそうになりました。

2025年は大阪万博。
奇しくも、
55年前も活気あふれた大阪万博が開催されていました。

昭和元禄落語心中ミュージカル

大阪フェスティバルホールにて、
日本初、日本発ミュージカルを観てきました。

山崎育三郎、古川雄太、明日海りおという、
ファン多き出演者のミュージカル。

一番に思うことは、
やはり、歌の上手い演者のミュージカルは安心して観れる。
そして、
日本が舞台。
それも落語という世界を取り上げての作品は、
これを機に、日本舞台の秀作が多く作られていくことを願うのみ。

元々はコミック、そしてNHKドラマとなり、ミュージカル化へと。
コミック、ドラマは知らなかったので、とりあえず知識は入れず観劇しました。

時代を映す、ブギウギあり、ロックあり。

落語をテーマにするということは、
ある程度、演者は噺を覚えなければいけない。…大変。

桂枝雀さんが好きだった私は、
「あの独特な高い声での痛快な喋りをもう一度聞きたい…五代目円楽さんも聞きたい…歌丸さんも…」なんて昭和を思い出していました。

山崎育三郎さんも古川雄太さんも、
それぞれの個性が光るキャラクターで、
何より、中村梅雀さん。
お歌も上手ですが、流石の演技力。
お父様の中村梅之助さんの『遠山の金さん』を思い出し、
大らかな梅之助さんの金さんが一番好きだったと、
これまた昭和がよぎります。

子役も優れていて、
初めて物語を知る私にも、
時の流れの交差が理解できる構成。

エネルギッシュで、日本的な艶っぽさも感じる新しい作品が世に出ました。

欲を言えば、
帰り際、中之島の桜と灯りと古き建物を横目に、
口ずさめるような耳に残る楽曲があれば。。。
なんて、肥後橋から淀屋橋まで帰路を急ぎました。

映画『FLOW』

ラトビア出身の監督、
アニメーション映画『FLOW』を観てきました。

素晴らしい。。。

セリフはありません。
動物の鳴き声と音楽のみ、
そして、とんでもなく美しい映像。

突然の洪水に見舞われ、ノアの箱舟ならぬ漂流船に異種の動物が乗り込み、波乱に立ち向かう流れ。
舞台も国が限定されていない、無国籍感満載。

各々の動物の特徴がそのまま描かれていて、またそれが、
「そりゃ。この動物はそういう行動に出るでしょ。でも、どうするのかな?」と、一気に90分観ることができました。

観終わって、
個性はそれぞれ違って当たり前。
特性を生かして協力できたときに、当たり前の幸せを得ることができる。
(ネタバレになるのでこのあたりで…)

この映画は『水』による災害でしたが、心苦しいのが、昨今の山火事。
人間も植物も、それこそ、見えないたくさんの動物たちが犠牲になっていることでしょう。

『水』も『火』も無くなてならないもの。
自然なものだけに、災害となるとちっぽけな人間には成す術がありません。

ありがたい『火と水』と共に、
自然のなかでは畏怖の念を抱いて
生きていかなければ。
動物と音楽と美しい映像に
改めて心の中の何かが動かされました。

セリフって時には邪魔なのね…。

春の調べ…かと思いきや

2025.3月16日、
ミッドランドスクエアホールにて、
『名フィル春の調べ』と題して
小編成のコンサートが行われました。

春の気候は変化が著しく外は雨でしたが、
ホールは温かな雰囲気で、多勢のお客様が待ち遠しそうにしていました。

viola奏者、吉田浩司氏編曲『春』にゆかりあるプログラム。

シュトラウスの『春の声』から始まり、
小編成にアレンジするのも大変…と思いながら
2曲目『美しき青きドナウ』は、
いきなり3拍子のウィンナワルツが4拍子の南国風に。
「あらら、ここはどこ?なんだか筋肉が休息モードに緩んでいく…」

ヴィバルディの『春』も、
普段この曲には登場していない鳥の声も聞こえたりして。

そんなこんなで最後まで、
どんなアレンジで羅列された曲達を征服していくのだろう…と、
興味深く聴かせていただきました。

『さくら』も、イントロでは『さくら』とわからず、
随分経ってから(すみません)、『さくら』のメロディーがフォルテで堂々と。

イントロの長さは、
開花はまだかと待つ日本人の心と同じ。
そして、
見事に満開になったときの喜び、驚き、高揚感がいきなり表されているようでした。

吉田浩司氏は、大学の同級生。
彼のアレンジ曲を聴くのは初めてで、
このような才能に恵まれているとはつゆ知らず、
「恐れ入りました」と脱帽です。

周知のクラシック曲が、
編曲によってどこの地域にも行けるし、
登場する生き物、感情も微妙に変わってくる。
拍子が変われば身体の動きも変わる。

楽器の特性を活かし、たぶん脳内でこのようにしたい…と思うものを譜面に落としていく作業は、大変だとは思いますが、
その手間があるからこそ、
意表を突かれた音楽が楽しくなる。

私は最後列に居たので、曲によっては、後ろの通路を踊りだしそうでした笑

毎年、たくさんの希望者のなか、
抽選で選ばれたお客様。

三寒四温の春。
外は雨で小寒くても楽しい音楽で同じ場所、時を過ごすのも、心がほっこり温まり、
こんな休日も良いのでは。

河津桜はチラホラ見かけますが、
今、まさに、長いイントロの如く、
ためにためて、王道の桜の満開を待つ時季。
パッと咲き、サッと散る。

3月19日現在の桜の木

桜の一瞬の美しさと、
音楽の瞬間芸術は似ているのかもしれませんね。

初笑い、京都南座

2025. 1月8日.
京都南座での松竹新喜劇にお邪魔しました。

初めての南座。

お話は、
シェイクスピアの『真夏の夜の夢』を元に、
時は大正、新喜劇らしく、面白可笑しく、客席降り、テンポ感もあり、
初笑いさせていただきました。

<↑撮影許可あり>

松竹新喜劇は、マンネリの笑いではなく、ちゃんと(?)面白い。

ベテランの曾我廼家文童さんもご出演で、
場を引き締めていらっしゃいました。

音楽でもメンデルスゾーンが、
『真夏の夜の夢』を作っており、
その中の『結婚行進曲』が、一番有名ですが、
個人的には序曲を弾くのが楽しかったです。

そして、
さすが京都。
一階桟敷席、上手側の席には、
花街らしく、舞妓さん芸妓さん方が、艶やかにたくさんの華を添えていらっしゃり、
私達観客も、目で楽しませていただき満足です。

一歩、外に出れば、
海外の観光客が非常に多く、
「う〜ん…古都が…」と思ってしまったりして…。

大学時代、
『四芸祭』というものがあり、
東京芸大、京都市立芸大、金沢美工大、そして愛知県芸大の国公立四大学で、毎年ホスト校が変わっての交流会がありました。

京都大会の折、
記憶では、この南座の裏あたりの小さな旅館に多勢で数日宿泊。
近所の銭湯を利用した際、
芸妓さんの名前が書いた籐籠がたくさんあり、
若干二十歳くらいの私は、
お姐さん方の私物から、
初めて日常の京都らしさを感じたものでした。

京都は観光客が多いだろうと、
今まで、あまり足を運びませんでしたが、
久々に祇園四条から烏丸まで気のむくまま散策し、
ちょうどお客が途切れていた鴨川沿いのレストランで、静かに外を眺め贅沢な時間。

森鴎外『高瀬舟』の舞台。
物流のために造られた運河『高瀬川』
立ち並ぶ現代の建築物に、
何か想像力が膨らむ…というのも難しいですが、
「そうそう、高瀬川、ここにあった!」と
若い頃も今も出会ったとき、なぜか嬉しかったです。

松竹新喜劇は、
来年お正月も、この南座公演が決定らしいです。

来年も初笑いをさせていただきたい。
そして皆さんにも、
この上質な「笑い」を知っていただきたい。

Xmas丸の内を歩きながら

「尋常性白斑」

聞き慣れない病名ですが、
私も昨年、初めてこの病気を知りました。

昨年、肌が少し白くなっているのをみつけると、
みるみるうちに全身に広がり、
マーブル状態に。

甲状腺の関係もあるらしいのですが、
原因も治療法もわからず
肌の色素が抜けていく病気です。

本来、
隠すべきことかもしれませんが、
あえて、公言することで、
多くの人に、この病気を知ってもらえれば…。

名市大病院が積極的に、治療法に取り組んでいます。

ただ、痛くも痒くもなく、
人にもうつらない、
内臓に影響無し。
本人が恥ずかしいだけ。

治験も考えましたが、
副作用が心配。

それより、
このような肌の病気があることを、
生徒さん達も
目の当たりにして知ってもらえれば、
この先、無知による差別は生まれないのでは。

様々な肌の色の人種がいて、
マーブルがあったっていいじゃない、と自身に投げかけています。

マイケル ジャクソンもこの病気だったみたいです。

ただ、今年の夏の暑さに反して、上着を羽織らなければならない状態は、とても辛かった。

外見に特徴、個性のある人達が、
何も気にならない世の中になれば嬉しい。

クリスマスイヴ
東京會舘で喜寿になられた安奈淳さんのディナーショーに行ってきました。

安奈さんも余命3日から復活し、
喜寿にして、素晴らしい歌声。
シャンソン、ジャズ、ピアソラも、自身の中で練られ持ち歌になり、
魅了させられました。

『シナーマン』も熱く歌われ、
「若い頃に歌ったシナーマンは凄かった!」と笑いを入れながら自身で仰られ、
確かに子供の頃に聴いたシナーマンはパワフルでしたが、
いやいや、今でも素晴らしい。

今年は越路吹雪さん生誕100周年。
大先輩の歌も披露。

ピアソラ『ブエノスアイレスのマリア』も、
年齢と経験を重ねられていらっしゃり
個性が際立つ歌唱だからこそ、
心が動かされます。

最近、
フィギアスケートで、
ピアソラ『アディオス ノニーノ』で演技されている選手がいて、
思わず、テレビを凝視しました。
艶っぽくて美しくて、
心の底から静かに涙する、
大好きな曲です。

尋常性白斑という病気になってしまいましたが、
生きているからこそ、
いろいろなことが起こってくる。
生きているからこそ。
これも個性。

世界では、
肌の色、領土、宗教、意味不明な差別と優越感で争っている現状。
人間がいる限り続くでしょうね。

【私達の上にはただ空があるだけ】

ジョンレノンの
『imagine』と
『happy christmas』が脳内で流れています。

安奈淳さんの
「78歳の来年も頑張る!」
という言葉に後押しされ、

東京會舘から日比谷までの
イルミネーションを見上げながら、
今年も、この光景に出会えた喜びで、
一瞬一瞬が大切な『今』なんだと、

そんな、イルミネーションの下に集まる、
これからを生きる若者達に、
個性の灯を消さないよう願うなか、

キラキラの空間から淡黒の空を見上げながら、
何か思惟にふける
2024.クリスマスイヴでした。

『RUNWAY』100周年の記憶

 

2024.12/4、
宝塚100周年当時のトップスターが集結したゴージャスなコンサート、
『RUNWAY』の初日を、
梅田芸術劇場にて堪能してきました。

社会的に宝塚は様々な問題を抱えていて、
私も物申したいところはありますが、
それはしっかり上層部、内部の改革を願うのみで、
観客に現実を忘れさせ、夢の舞台を届けてくれるのは事実。

2014年が100周年。
今から10年前。

当時のトップスターさんの
それぞれの演目の歌が流れたとき、

ふと、

10年前は、まだ両親も健在で、
どの組の演目もチケットが取れれば観に行っていた…

両親の身体の心配、食事の心配もすることなく、
安心して家をあけることができ、
帰宅すると両親に
「こんな舞台だった。こんな衣装だった。街でこんなトップスターさんに出会った」と、
よく話していたことを、
舞台を観ながら思い出していました。

10年で、こんなにも身を置く環境が変わるものなんだ。
帰ったら両親に感想を話したい…

当時の各組の歌が自然に口ずさめ、
未だ変わらないジェンヌさん達の姿に釘付けになり、
楽しくて楽しくて楽しくて、、、
幕が降りてからも、
懐かしさと嬉しさで心満たされていました。

この先10年後は私自身どうなっているかわかりません。

今、楽しめること、心踊るものに
たくさん触れ、
ここからは形無い心の感動の財産を蓄積していきたい。

10年前の心情も記憶として残っている。
ならば、
瞬間で終わってしまうものかもしれませんが、
感動の記憶は、
誰にも壊されないし誰にも奪われない。

私だけの大切な感動の記憶。
私だけの大切な無形財産です。

街の音楽会

丘陵地帯の
高蔵寺ニュータウン。
廃校になった小学校を地域の人達のために活用している施設、
『グルッポふじとう』にて、

名フィル首席奏者とピアニストによる三重奏が催されました。

空からコバルトブルーの絵の具が落ちてきそうな小春日和。

ハイドン、ベートーヴェン、アレンスキー、
私は初めて知りましたが、
フランスの作曲家ヴァンサン.ダンディ。
ジャズアレンジの曲もあり、
素敵な空間でした。

ベートーヴェン.ピアノトリオ4番「街の歌」
当時の作曲家ヴァイグルのアリアがウィーンの街でとても有名で、
そのテーマをベートーヴェンが使用したとのこと。

今ではヴァイグルという名も知られていませんが、
流行ってそんなもので、
現代は忘れ去られていくのが更に加速し、
世代ギャップを感じる昨今です。

それでも、100年200年300年前に作られた曲が、
演奏者がいるからこそ、
今も継承され、未来に残っていく。

ハイドンとかベートーヴェンとか、とかく難しく捉えがちですが、
(奏者はもちろん考えています)

聴衆は、それを聴いて、
どんな景色が現れ、
登場人物は誰で、
どんな色彩のなかに身を置き、
そして物語が始まり、何を感じ、
どんな感情が溢れてきたか…

それが耳からの贈り物だと思っています。

普段、
コンサートホールに出かけられないような世代の聴衆にとっても、
身近で、弦楽の調べが楽しめ、

どちらかというと、しっかりしたクラッシックのプログラムですが、
奏者のピアニッシモに徹底したこだわり、
弾くことの楽しさを感じたからなのか、
何か肩の力が抜けて聴け、
あっという間の1時間半でした。

とても綺麗にされている校舎。
高度経済成長の時代から、
たくさんの子供達が学び、遊び、
成長を育んだ場所。

穏やかな昼下がり。
学び舎のかつての子供達は
午後の授業で、
少し眠くなったり…
塾のことを気にしたり…
放課後の遊ぶ約束…

それぞれの時代の街の歌が、
この校舎から聴こえてきそうです。

洛西とWienと涼風

長かった酷暑からほんの少し解放されたのは、
まさにお彼岸を境にした9/23日。

京都、桂川を西に越え、
落ち着いた上桂駅で、阪急電車を降り、
わずかに日差しのやわらぎを感じながら、
青山バロックザールに向かいました。

ウィーン在住、
荒井優利奈さんのコンサート。

その日、阪急電車遅延もあったせいか、

シューマンの冒頭、ロマンティックで穏やかで美しい音楽に安堵し、
深みのある音色に癒されていました。

7年間、ウィーンで研鑽を積み、
今暫く、日本に滞在し、
まだまだ自身の磨きに挑戦していく姿は、
本当に芯が強く、
与えられた天性と、
並大抵ではない努力が成された果なのだと感服し、
舞台上では、
音符が輝きながら舞い踊っているようでした。

アンコールは『美しきロスマリン』

可憐で愛らしいロスマリンがそこに存在しているかのようで、
ヴァイオリニストによって、ロスマリンの風貌は変わるものだなぁ…と。

ここは都から離れた嵐山の麓。

ロスマリンもきっと、ウィーン郊外の自然豊かなところで、
これからの未来を夢見て過ごしていたことでしょう。
ロスマリンをまとう風は、
涼やかでとても軽やかでした。

2017-2024 岩﨑バイオリン教室