アルジャントゥイユのひなげし

フランスに住む友人から、
お散歩コースの風景写真、動画が送られてきました。

「モネの《アルジャントゥイユのひなげし》の絵画と同じ花だよ」と。

毎日疲れきっている私には、
一服の清涼剤のように、
心、癒されました。

青くて高い空、
澄んでいるだろう空気、
草の乾いた香り、
目を惹く紅オレンジの点々とした花々。
そこに住む人々の生活。
いろいろなものを想像されてくれます。

ひなげしは、
国によって、虞美人草、アマポーラともいい、
花言葉は
「いたわり、思いやり、心の平静、慰め、休息」
今の私にとてもピッタリなワード。

私の心を知ってか知らずか、
タイムリーなフランスからの便りに
癒され感謝です。

虞美人草
項羽の足手まといにならぬよう、自害した虞姫の傍らに紅いひなげしの花が咲いていたことからその名前がついたらしいです。

アメリカ映画
『Once Upon a Time in America』
1920年
ニューヨークを舞台にした、
ロバートデニーロ主演のギャング映画。
(デニーロ作品や禁酒法時代の映画はよく観ていました)

暗黒時代と移民と荒れたニューヨークの街に相反して、
イタリアらしい甘くて切ない『アマポーラ』のBGM。
なんて綺麗な曲なの…と、
この映画で初めて『アマポーラ』の曲を知り、
そこでも癒されたのを思い出しました。

ケシ科の花は、
どこか魅力的な女性を象徴として、
ふと、眼をもっていかれるものがありますね。

平和な国の義務

ゴールデンウィーク中、
岐阜国際音楽祭コンクールの審査員をさせていただきました。
皆さんレベルが高くて素晴らしく、
ここまでくると判断しかねるというレベル。
それぞれの個性が違うので、
それぞれの演奏スタイル、
解釈が光るコンクールでした。

帰宅すると、
毎日、世界でも日本でも辛いニュースばかり。
現実から眼をそむけず、しっかり現状を把握しておこうと、ニュースのハシゴ。

いろいろな事件、事故はあります。

でも、音楽ができる
『日本は平和です』

私が母の介護で毎日汗をかいていても、
『日本は平和です』

だとしたら、悲惨なことには祈ることしかできませんが、
目の前のこと、与えられたことを一生懸命やるだけ。

それが、平和な国(平和ボケ感もありますが)に生まれた義務かなと。

ただ、あまり頑張りすぎないように、
どうしたら緩急つけられるのか?

難しいと思いながら、
また、平凡な朝がやってきて、
母のことで葛藤しながらも、
平和な一日が過ぎていきます。

息抜きに、
大阪のホテルでのディナーショーに行かせていただきました。
世間的には贅沢なことでしょうが、
たまには
時間を忘れること、
日常を忘れることが、
人間には不可欠。
ホテルの裏の川をぼんやり眺める贅沢な時間。

人それぞれ癒しの種類は違うのでしょうが、

今、
祖国を離れている人達は何が一番必要なのか…

西洋には
『ノブレスオブリージュ』といって、『高貴な者には義務が伴う』という精神があります。
無償のボランティア精神。

高貴でなくとも、
それぞれのことを考えるのは、
平和な国に住む私達の義務でしょうね。
目の前のことで精一杯な今、
なかなか、そのような精神にはなれませんが…

少しずつ、海外からのアクセスもあり、

岐阜では、
8月にリスト音楽院の教授陣の公開セミナーが再開されます。
今回も生徒がお世話になる予定です。

名古屋では、
多くのバイオリニストを育てた偉大な先生。
ザハールブロン氏も来日されます。
これもまた楽しみです。

世界が、少しずつ動き始めている。

今年も、もう紫陽花の季節です。

WHAT A WONDERFUL WORLD

ウィルスという目に見えない敵と地球規模で闘っている最中、
見える敵が、弱い隣国に秩序もルールも無く勝手に戦いをしにきている。

全人類がスマホというツールでジャーナリストの時代、
全世界は見ているし、
過去の歴史を学べば独裁者が今後どうなるのかは、歴然としている。
なぜこんな単純なことがわからなくなってしまっているのだろう。
しかし、
ウクライナ国民のなんと誇り高きこと。

力も何も無い私は、映像を見て祈るしかない。

キエフと言えば、音楽家が真っ先に思い浮かぶのは、
ムソルグスキー『展覧会の絵』より
「キエフの大門」だろう。

芸術家、作品には全く罪はない。

過去のロシア(ソ連時代)の芸術家も自由への憧れを作品にぶつけていたからこそ、心揺さぶられるものがある。

連日のニュースで、
歩くことさえままならない高齢者、
子供達の避難する姿、
お父さんと別れて泣く映像が流れると、
悲しくてどうしようもなくなる。
ふと、
ポーランド国境付近で、
路上ピアノを弾く男性の映像が
一瞬飛び込んできた。
一瞬だったが、調律も合っていなかったピアノだが、
確かに、
【what a wonderful world】だった。
ルイ アームストロングの
what a wonderful world。

これは、ベトナム戦争のときに歌われた曲。
戦争を背景にこの歌詞を見るととても意味深い。

歌詞の最後に
『ベイビー達の成長を見守ろう。私よりも多くを学ぶだろう…
心の中で思うんだ。
なんて素晴らしい世界なんだろう』と。

希望を歌っている。

ひとつしかない地球の、
命あるもの、森羅万象を破壊しようとしている。
宇宙をも手に入れようとしている。

ひとりのエゴのために、多くの希望が失われていく。

どうか生きて、生き延びて、
そして子供達に希望を。
人類に素晴らしい世界を。

今だからこそウエスト.サイド.ストーリー

永遠のテーマ『ロミオとジュリエット』が元題材の『ウエストサイドストーリー』

スピルバーグが監督ということで
久々に人が少ないと思われる時間帯の映画館に足を運びました。

オープニング、
これから建築予定であろうリンカーンセンターの立て札が現れ、
荒れた茶系の街並み。
「ジェッツ」のメンバーが
「俺たちの場所にオペラハウスや、学校とかが建つようだ」と。

《1994年、リンカーンセンター》

茶色の画面に、女性達の明るい色彩の衣装。
バーンスタインの名曲ぞろい。
縦横無尽に街に飛び出し、エネルギッシュなダンス。

体育館でのダンスパーティー。
ポーランド系アメリカンの「ジェッツ」は薄いブルーが基調の衣装。
プエルトリコの「シャークス」は、
くすんだ薄い赤が基調の衣装。
そこに、
無垢な白ドレスに赤ベルトのマリア。どちらにも属さない色合いのトニー。
二人は争いには関係ないという象徴。

バーンスタインの曲が好きで、
今まで昔の映画もミュージカル舞台も観てきました。

ナタリー.ウッドの美しさ。
ジョージ.チャキリスの鋭さ。
どうしても昔の映画の残像がよぎりますが、
映像の随所に、スピルバーグのこだわりが感じられます。

書きたいことはたくさんありますが、、、

若者の、
「俺たちは人種ではない。これはシマ(縄張り)争いなんだ!」

このセリフに、
人間はいつの世も同じ。
今も、大国が隣国を脅かしている。
大国同士が小さな手の引っ張りあいをしている。
いろいろな面で大国のエゴに呆れてしまい、
弱い立場の隣国の住人はどんなに不安な毎日か。

2022平和の祭典のはずが、
なんとも後味が悪い。

スピルバーグが製作を長年の夢だった。と語るのは、
自身もユダヤ人として、
私達、単一民族が単一国で暮らす者には計り知れない想いがあるのだろうと勝手に想像します。
『シンドラーのリスト』も然り。

 

『ロミジュリ』と違うのは、
最後マリアは死を選ぶのではなく、
争っていた皆に向かって怒りを爆発し、
生きていこうとする。強さも感じる。

争うことをやめてトニーを運ぶ若者達、
立ち尽くす大人、
銃を持った若者に寄り添う老婦人。

《1994年.メトロポリタン歌劇場》

♪Tonight、America、Mambo、Somewhere、Cool、Maria、〜♪
名曲揃いで、特に登場人物それぞれの想いで歌うTonightクインテットは
傑作です。

老婦人が過去を懐かしむのか、
未来への祈りなのか、
語るように口ずさむSomewhere。
昔の映画でこんな場面あったかしら???

最後のエンドクレジットをぼや〜っと見ていたら、
なんと、リタ.モレノの名前が!
あの老婦人は90歳のリタ.モレノだった!
61年前アニータ役のリタ.モレノ。

驚きのまま、
老婦人が歌うSomewhereには、
トニー、マリアが歌う「どこかに」とは違い、
老体からでも…老体だからこそ未来に託すもの、
良い意味での価値観が変わる未来を切望し祈るような、
さすがの名場面でした。

どんな時代でも争いは無くならないけれど、
名曲が彩りを添えながら、
今こそ必要な、
多くの人に観て欲しいこの物語。

時の乗り物 . 2021

 

あっという間の1年
何かをしようと思えばできたのかもしれないけれど、
日々、
仕事、家事、介護、雑用に追われ、
特に介護に関しては、予想だにしないことが起きます。
今年は、流れについていくのに精一杯な毎日。
「こなす」ことに乗り遅れないようにすることのみ。

子供は、
【昨日できなかったことが今日はできる】
それは希望を生みますが、
高齢者は、
【昨日できたことが今日はできない】
怒りやあきらめ哀しみ、葛藤の日々です。

私事で喜怒哀楽の激しい一年だったかもしれません。

そんな日常のなかコロナ禍とはいえ、
ちょっと遠方に出かけられただけでも有り難いと思ってしまいます。

母を施設に預かってもらえるだけでも精神的な安堵と解放感が得られ、
本当に、携わってくださる方々へは感謝しかありません。

なるべく、新幹線で1時間くらいのところでないと、いざという時に帰れない。
数年前、こんなこと考えたことはありませんでした。

人並みに、
人として順番に歩まなければならない道を歩ませていただいているんだ、
今の自分はこういう時期、と、
自分に言い聞かせることもあります。

最近は新幹線に乗っていても、
「早く岐阜に戻らなきゃ」という気持ちで、
何か、焦ってしまいます。

2003年、
フィレンツェからベネチアまで
『オリエント急行』に乗る機会がありました。

青列車のデッキをゆっくり上がり、
ドレスコードに従い、
ディナーをいただき、
夜遅くベネチアへ到着。

クラッシックな個室で、
アガサ.クリスティー、
エルキュール.ポアロのことを考えながら、
車窓から、
イタリアの田舎風景を照らす陽がゆっくり落ちていくのを
ぼんやり眺める。
そんな贅沢な時間をいただきました。

年末恒例の、
(昨年はコロナのため開催されず)
バイオリンコンクールに出かける朝、
雪で電車の遅延を覚悟して出かけましたが、
大した遅れもなく、無事会場に到着でき、
これも動いてくれる列車のおかげ。

生徒達にとって、
目標に向かう過程が大切ということを体得できる行事が、
無事終わりました。
皆さん何かしら得るものがあったことでしょう。

人生の旅の長さ、
時間の使い方、その時間の濃さ、速度、
それは人それぞれです。

今の私は、
なんとか一生懸命、
先の目的地が見えない状態の列車で、
毎日試行錯誤しながら、
車窓を眺める余裕もなく、
走り続ける列車に乗っています。

来年は、
同じ走り続ける列車でも、
ほんの少しでいいから
車窓を眺められる余裕が心に持てれば…。

喜怒哀楽を繰り返しながら
『生きる』という乗り物の車窓を
楽しめる自分になれればと、
言い聞かせています。

中村吉右衛門さん

父が、時代劇、西部劇が好きだったせいか、
子供の頃からよく一緒に、
ジョンウェイン、ゲイリークーパー等々の映画を観ていて、
「シェーン」に限っては何度観たことでしょう。

戦争映画ではありますが、
グレゴリーペックの他、
多数のスター俳優が名前を連ねる
「ナバロンの要塞」も、
結末がわかってはいても、テレビで放映されるたびに視聴。
子供ながらにグレゴリーペックのカッコ良さに惹かれ、
「ローマの休日」から「アラバマ物語」「紳士協定」等、
社会派の映画まで、片っ端から観た記憶があります。

昔のハリウッド俳優の存在感絶大なスター性。

先日、中村吉右衛門さんの訃報が流れました。

『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵。
「鬼の平蔵」
物語のテーマがしっかりあり、人の有り様が細かに描かれ、
鬼平の人間臭さと、粋な計らい。
めでたしめでたし…で終わるばかりではなく、
それがまた俗世間っぽくて良い。

他の時代劇とは全く違い、
短編小説を読んでいるかのように、
一話一話、のめり込んで観ていました。(もちろん池波正太郎さんの小説なので)。
鬼平の、
頑固でもあり柔和でもあり、
粋で筋の通った格好良さ。
食通で、江戸の小粋なお料理も彩りを与えていた作品。

別格で秀逸の時代劇でした。

ドラマの最後、
『ジプシーキングス』の音楽
「インスピレイション」が流れ、
最初、
時代劇にジプシーキングス???と、
少しビックリしましたが、
映像と相まってこれがピッタリ。
なんとも悲しげで、物語に余韻を残し、
視聴者に、
その後の想像力や静かな感動、
空虚な時間を与える見事なエンディング。
この選曲、格好良すぎ。

吉右衛門さんの人生も静かなエンディング。

私のなかで、ジプシーキングスの
ラテンギターの音色が哀愁いっぱいに響いています。

中村吉右衛門さん、鬼の平蔵さん、
大好きでした。

父との思い出と共に、
素晴らしい作品をありがとうございました。

白夜のオランジュリー

1987年
前年に駅を改装してオープンした
パリ、オルセー美術館に入場したら、
すごい人、人、人。

混み合うなかで折角の絵画を観るのは好きではないのでサッサと外へ。

セーヌ沿いをフラフラしていたら、
風景に溶け込んでいる
オランジュリー美術館に遭遇。
この頃はあまりオランジュリーのことには詳しくありませんが。

館内、落ち着いていて、
印象派の絵画が多く、
道順に従い階段を降りたら、、、

息が止まるかと思うくらいビックリして、思わず声をあげてしまいました。

360度、『モネの睡蓮』

まさかここで出会えるとは思わず、
嬉しくて嬉しくて、
静寂な空間で腰掛け、
時間を楽しんでいました。

その2年後、1989年
エッフェル塔建築100年。
フランス革命200年の記念の年にもパリを訪れ、またまたオランジュリーに。

時々、パリに住む友人から写真や動画が送られてきます。
セーヌ川の遊覧船バトームーシュからの映像。
「あっ、オルセー、あっ、修復中のノートルダム」と
今のパリを見ながら、
私も夏の白い夜に乗った記憶がよぎりました。

「私、オランジュリーが好きなの」と伝えたら、
毎年、白夜の頃に、
その『睡蓮』の空間で一晩中カルテットの演奏会が催されるらしく、
並んでチケットを取るそうです。

絶対に行きたい。
友人も「是非、一緒に行こう」って。

白夜、睡蓮、弦楽の素敵な組み合わせ。
自然、芸術、空間。
なんて贅沢。

目標があると、
コロナ禍の自粛生活も頑張れます。

セーヌ川に立つ、
小さな、本家の『自由の女神』

【どうか世の中がおさまり、人々に安寧が訪れ、
行動の自由を私達に与えてください】

異国と自国

ちょうど50年前に作られたストーリー性のあるショー。
『ノバボサノバ』

当時にしては斬新なダンス。
3日間のカーニバルでの随所の恋。
太陽が降り注ぎ
海のきらめきが想像できる曲達。
でも、哀愁をおびて
なんとも切ないメロディーラインの曲も。
八百屋舞台
(舞台上が観やすいように斜めの舞台)

子供の頃再演を観た私と友人は、
よくノバボサノバごっこをしていました。

カリオカの主人公ソール(太陽)
カーニバルの旅行者、白人のエストレーラ(星)
ストーリーがしっかりあるのに、
セリフは
最後の「エストレーラ!」の、
ひと言のみ。

50年前なのに作者の自由な発想が受け入れられ、今観ても全然古くない。

「エストレーラ」…星…

メキシコの作曲家ポンセのバイオリン曲
『エストレリータ(小さな星)』

巨匠ハイフェッツが編曲し、
哀愁あり、可愛らしくもあり、
でもどこかjazzyな要素もある素敵な曲。
これも子供の頃、
NHK名曲アルバムで初めて聴いて、
なんて素敵な曲だろうと。

同じくメキシコの医師であり作曲家が作った民謡
『ラ ゴロンドリーナ(つばめ)』
名曲アルバムでは、
辛い状況の外つ国から、
祖国を想う切ない気持ちを、
トランペットが哀愁込めて
歌いあげていました。

 

…とある国が
期限までに脱出しなければいけないほど危険な状態に。

現地から一刻も早く祖国に帰してあげたい。
他国のために働いてきた現地の人々も一緒に。

なぜ、現地の我が国のトップは真っ先に退避したのか。
他国は知恵を絞って最善を尽くしたのに。

…タイタニックを思い出した…。

…杉原千畝さんの人道的な行動は、
ただの歴史上の物語になってしまっているのだろうか…。

50年前の作品は全然色褪せないのに、
わずか75年程前の善行は忘れ去られてしまっている。
しかも杉原さんの功績が認められたのは随分経ってから。

ゴロンドリーナのようにその時期を察し、
自由に大空を飛び立ち、
目的地に到達できればいいのにと、
ひとつしかない空を見上げながら
願うばかりです。

古都で欧州の響き

京都上桂、
青山音楽記念館バロックザール、
荒井優利奈さんのバイオリンコンサートに出かけました。

事前に感染対策をしっかり考え、
行きも帰りも新幹線の車両には、なんと2名だけ。
ホールは200のキャパに100名までの入場。
もちろんクラシックコンサートなので、舞台上も客席も声をあげる人はいません。

出かけるときは晴天でしたが、
京都駅に着き、突然の豪雨。
ホールに向かう時刻になったら、
無事、雨は止んで、
少しだけ晴れ女の役目を果たせたでしょうか。

初めて行くホール。
桂から阪急嵐山線で上桂下車。
住宅街?と思われるところに、
落ち着いたブラウンの建物。

京都堀川高校出身のピアニストにお尋ねしたら、
響きの良いホール…。とのことで、
楽しみにしていました。

【ベートーヴェンソナタ】
【バッハ無伴奏ソナタ】
【イザイ2曲】
【シューベルト.ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー】

ピアノとのアンサンブル。
無伴奏曲。

音色の弾きわけ、合わせの繊細さ。
ボーイングの妙技。
本当に、贔屓目ではありませんが、
音楽的に素晴らしく、
とても好きな演奏です。
舞台上から気品も溢れ、
贅沢な時間を過ごせました。

 

コロナ禍、第5波感染拡大。
選手は素晴らしいけれどオリンピックのよくわからない裏側。
同じくよくわからない首相の発言。
京都駅での突然の豪雨。

全て忘れた上質な2時間でした。

蒸し暑さが肌にまとわりつく鬱陶しい季節ですが、
響きの良いホールで聴く脈々と受け継がれる名曲。
心地よい緊張感と、
グァルネリの深い音色と癒しの瞬間、

そして何より、
技術だけでなく音楽的に見事な演奏に圧倒され、
鬱積した現世からかけ離れた空間でした。

小規模の素敵なホールで、
クラシック音楽を愛する人達だけで
身近に聴けるコンサートは、
やっぱりいいですね。

古都でのヨーロッパの香り、
佳き瞬間をありがとうございました。

コンビニで購入した今人気の抹茶ラテ。
京都嵐山の麓で飲むと、
妙になんだかしっくり馴染んでる感がし、
ミルクの甘さを宇治茶の渋みでおさえ、喉ごしよく美味でした。

これまた『和洋折衷』

コロナ禍の発表会

2021.7/3(土)
ヴァイオリン.ヴィオラ発表会を行いました。
2週間前までは、まん延防止のためホールが閉鎖されていましたが、
無事に開館され、舞台がある有り難さを生まれて初めて感じました。
他地方では天災の被害があるなか、
岐阜はお天気にも恵まれ、
どのように感謝したらよいのだろう…と、
朝、考えてしまいました。

<当日朝、わが家の屋上から>

ソロ演奏は、
小さな子も大学生も立派に弾ききり、
私が言うのも変ですが、素晴らしかったです。
足をお運び下さった祖父母の方々にも喜んでいただけたようで、
私の亡き父がもし会場にいたら、
同じように目を細めて、嬉しそうに聴いていたことでしょう。

最後の全員合奏は、
『レ ミゼラブル』より
「心は愛に溢れて〜民衆の歌」
以前のブログにも書きましたが、
このコロナ禍、敵は見えないですが、
みんなでワンチームになり勝ちたい!という気持ちから選曲しました。
タイミングよく、
今現在、帝国劇場〜梅田芸術劇場で上演されています。

合奏練習の場所も開館するかどうか不安でしたが、
これまた無事に合わせ練習ができ、
全てが奇跡のようです。

今まで当たり前だったことが、当たり前ではない。
どんなことでも無事に事が進んでいるのに、
不平不満を言うことの恥ずかしさ。

感染対策のため、
親御さんにもいろいろご尽力いただき、
私ひとりの力では何もできません。
またひとつ、「感謝」を学ばせていただきました。

「どのように感謝したらよいのだろう???」
朝、ふっと湧いた疑問。

やはり、私自身も精進して、
おごることなく、正直に、
また次回に繋いでいけるよう積み上げていくことが感謝をお返しすることではないか、と、
夜、ホッとひと息つき、
疲れた身体を、
「心は愛に溢れて」のメロディーが包んでくれていました。

 

 

 

2017-2022 岩﨑バイオリン教室