長久手今昔

「父の日」に母を連れ、愛知県「長久手市文化の家、森のホール」でバロック弦楽合奏の演奏を聴かせていただきました。
出演の皆様、大変なお仕事のなか練習して舞台に立つ。
素晴らしいことです。

長久手は、?十年前、大学4年間を過ごした思い出深い街です。

当時の面影はどこへ???
と思うほど、街の様子は変わり、愛知県の中でも「お洒落な街」として、素敵に変貌した良い例です。

「森のホール」は、木のぬくもりがあり、温かでシック。
ステージが見やすく音響も良く、弦楽器にしっくり合う空間だと感じました。

そして、母と、母校「愛知県立芸術大学」にも足を伸ばしてみました。

母がこの地を訪れるのは、私の卒業式以来です。たぶん、これが最後でしょう……。
晴れ女の私は、今日もしっかりお役目を果たして…晴れてます!

『この管理棟の前で合格発表の張り出しがあったのよ』
と、記憶を辿ると、普段、写真嫌いの母が、自らをこの場所で撮ってほしい…と。

今は、PCの前で合否を知らされる時代ですが、
当時は、受験番号張り出しまでのやけに長いドキドキ感のなか、
同じ高校から受験した友人と、祈るようにその時を待っていたものでした。

合格がわかると、母や友人と飛び上がるくらい喜び、写真左の公衆電話から、自宅で待つ父へ連絡。
公衆電話の前に、列ができていたのを覚えています。
懐かしいアナログのゆっくりした時代。

両親は、芸祭になると電車を乗り継ぎ訪れ、風光明媚で、丘の上に存在するこの広い空間のキャンパスを、特に父はとても気に入っていました。
他人に言うといつもビックリされるのですが…
当時の寮費は1ヶ月、2500円(母は大喜び)。
なので、親孝行のためにも4年間寮は出ず、たくさんの友人達と過ごしたのが何よりの思い出です。


授業終わり、ここから眺める夕陽が大好きでした

毎年、教えにいっている高校の音楽科から数名、愛知県芸に入学します。

現在の私は、あの頃の両親より年齢を重ねました。

合格された親御さんの喜びは、ひとしおでしょう。

お洒落で住みたい街ランキングに入り、テレビでは「ナガクテーゼ」なんて言われているらしいですが、
私にはあの頃の、
素朴な緑しかない、
1時間に1本のバスしか走っていない、
みんなでスクーターで買い出しに行った長久手も、
素敵な記憶として残っています。

母と2人の車内でしたが、いつも助手席に座っていた晩年の父を感じながら、
帰路の名古屋インターに吸い込まれていきました。

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