お仕事自粛中で、はっきり言って『ヒマ』です。
お部屋で自粛中
ニュースで、中心地の人波は減っても、商店街や海など行楽地の人の多さ。
なぜ、我慢できないのだろう???と、不思議に思ってしまいます。
多くの命のために皆が我慢してるのに。
結局、
『我慢』って、昨日や今日、培われるものではないんだな、って。
少なくとも私の周りの、
小さな頃から芸事を習ってきて、
毎週毎週決まった時間にレッスンにいく子供時代。
習い事を諦めず、継続した中高校時代を過ごした友人達は、皆、必要最小限の外出にしています。
なぜ自粛しなきゃいけないのか理解しているから。
それに対する忍耐力があるから。
(これは芸事には限りませんが)
子供時代から習い事をしてきて、
必ずしも順風満帆にきたわけでもなく、
やめたくなったり、練習したくなかったり、叱られたり、
実技試験の前の日なんて、
『明日、学校が火事になればいいのに』…なんて、
ひどいことを、たぶん、みんな思ったと思います。
でも、何事もなく、無事に実技試験は行われるんですよねぇ。…これが…
みんな、
時には友達の誘いを断って、優先順位を決め、やらなきゃいけないことをやる。
意味のない我慢はしなくていいと思うのですが、
今は、意味のある我慢。
『我慢、忍耐』って、子供の頃からの積み重ねで、
大人になってから、それを得ようとしても、『時すでに遅し』
経済が回らなくなり苦しんでいる人。
危険と隣り合わせで命を救い続けている医療従事者。
救うのは、私達ひとりひとりの我慢。
我慢していても、必要な外出でウィルスを拾うことがあるかもしれません。
こんなことを言ってても、私の明日もどうなることやら。
『忍び耐えた』あとの、
数々の楽しい出来事を思い描きましょう。
きっと、その時の喜びは、
今、どこか遊びに行く喜び以上に、
もっと、当たり前だったことが当たり前ではないと心の底から感じ、
我慢した人ほど大きな喜びになるのでは。
TVから医療従事者へ向け、
銀座和光、服部時計店(母は未だにこの呼び方です)の
『命の鐘』が聞こえてきました。
ふと、今の朝ドラ、古関裕而さんの『長崎の鐘』が頭をよぎります。
兵庫県立芸術文化センター監督、指揮者の佐渡裕さんも、
「すみれの花咲く頃」の動画でみんなの心をひとつにしてくれています。
ヴァイオリンの街、イタリアクレモナでは、日本人ヴァイオリニストが、医療従事者へ向け、屋根の上で素敵な音色を奏でています。
映画『ニューシネマパラダイス』の美しい旋律と、鐘楼が浮かび上がる夕暮れのなか、生きる力を表すような真紅のドレスに、
勇気と癒しと祈りが、音の雫となって、クレモナの空気を浄化しているようでした。