終戦から80年。
6月23日、沖縄『慰霊の日』追悼式。
12歳の少年が、台本を全く見ず、まっすぐ前を見据えて、おばあちゃんとの思い出を語る。
おばあちゃんが歌っていた戦時中の歌を、
聞き覚えでしっかり歌う。
おばあちゃんの想いを受け止め、 平和を語る。
少年の心に刻まれた、正眼での語りは聞き手の心に刺さる。
80年も経つと、
『歴史の書き換え』などと言いだす政治家もいる。
以前、北野武氏が、
昨今の情けない若者の横行にボソっと、
「おいらの親の世代が、こんな未来の若者たちのために戦争で死んでったんじゃないやい!…」と。
…グサっときました。
子供の頃、
NHK『名曲アルバム』で流れていた
『芭蕉布』という歌が好きで、
歌詞のとおり、
『海の青さに空の青、南の風に緑葉〜♪』
まだ行ったことのない沖縄に、
色彩豊かで綺麗なところなんだ…と思っていました。
歴史もまだわからなかったので父が言う、
「沖縄はドルだった。パスポートが必要。日本に返還された」という言葉に異国を感じたものでした。
でも、日本国として、
地上戦の激戦地で多くの命を失ったことは紛れもなく事実。
『芭蕉布』の着物はサラッとして、虫除けにもなり沖縄の文化でしたが、
この芭蕉も、アメリカ軍によってたくさん切られたそうです。
以前、沖縄を訪れたとき、
戦時中逃げ込んでいた洞穴をガイドさんが説明するさなか、
はしゃぎながら写真を撮っている若者に、
ガイドさんの「信じられない…」という怒りと悲しみの言葉を耳にし、
最後列にいた私は、
本土の人間として申し訳なさいっぱいで、
列から離れて、
その洞穴に深々とお辞儀をし、
手を合わせたものでした。
必ず誰かの命のうえに私たちは生きている。
誰かが犠牲になり、また繋いできたからこそ生きている。
決して忘れてはいけない。
終戦時、母は12歳。
岐阜空襲で2歳の妹を背負って逃げたことをよく聞きました。
しかし、
戦争映画は決して観ようとはしませんでした。
私も『戦争を知らない子供たち』ですが、
さきの大戦を経験した人々が少なくなる今、
平和ボケでなく、
本当の平和を守るため、
貴重な辛い体験は流布されるべきだと思います。
6月23日、『慰霊の日』
母の誕生日でもあり、
長文ですが書かずにはいられませんでした。
蓮の花は泥の中から、
見事に清らかで美しい花を咲かせます。
辛い歴史を知ってこそ、
平和を願う気持ちが大きくなるのでは。