バックハウスと「手」

12月、4時間のみ滞在の東京に行ってきました。
日比谷、銀座界隈を歩きながら、

コロナ前の2019年、
母と手を繋ぎながら、のんびり歩いたなぁ…。
もう、そんなこともできないなぁ…と。
施設で、何もかもわからなくなっている母に少し罪悪感を覚えながら。

母が学生時代過ごした、
大好きな東京に、
年老いてから何度か連れていく機会をいただけたこと、
今更ながら、良かったと思っています。

何故、音楽に携わる人生になったんだろう?
なんてことも考えながら、
母が最初にレールをひいてくれたことに、
若い頃は嫌でしたが、
特に最近、感謝しかありません。

父もよく、
『親は子供が得意なこと、好きなことをみつけるのが役割だ』とも言っていました。

もちろん、
嫌なこともたくさんあります。
私自身、「個」が強いので、
母のレールに乗っかることに反発もしました。

最近、
高校生の合奏に久しぶりにビオラで乗り、
「あぁ、楽しい。音楽を作り出すこと、いろいろな音の中に身を置くこと、
単純に楽しい」と。
嫌なことも浄化され、
母への感謝を実感する瞬間を噛みしめていました。

先日、フランス在住の同級生から、
「今でも、音楽に携わっていられることを羨ましく思うよ」って言われたとき、
改めて、有難いことなんだと、
良いダメ押しをされたみたいでした。

学生時代好きだった、
池田理代子氏の漫画、
「オルフェウスの窓」
レーゲンスブルク〜ウィーン〜ロシアと、
3人の人生を描く大作ですが、

主人公のひとり、
貧しいながらも天才ピアニスト、
イザークが、
スランプに陥ったとき、
実在のベートーヴェン弾きのピアニスト、
バックハウス氏が現れ(お話は架空です)
イザークに言います。

【みんな、それぞれが違う手を持ち違うピアノを弾く…
けれども、確かなことは、

きっと、きみも、僕も、、、
共に美しい音楽に満ちて
生涯を送れるということです】

何かあったとき、
必ずこの言葉を思い出すようにしています。
生きている限りずっと。

先程、
施設で私のお洋服をたくさん作ってくれた、もう短い命だろう母の手を握り、
この手にも感謝です。

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