街の音楽会

丘陵地帯の
高蔵寺ニュータウン。
廃校になった小学校を地域の人達のために活用している施設、
『グルッポふじとう』にて、

名フィル首席奏者とピアニストによる三重奏が催されました。

空からコバルトブルーの絵の具が落ちてきそうな小春日和。

ハイドン、ベートーヴェン、アレンスキー、
私は初めて知りましたが、
フランスの作曲家ヴァンサン.ダンディ。
ジャズアレンジの曲もあり、
素敵な空間でした。

ベートーヴェン.ピアノトリオ4番「街の歌」
当時の作曲家ヴァイグルのアリアがウィーンの街でとても有名で、
そのテーマをベートーヴェンが使用したとのこと。

今ではヴァイグルという名も知られていませんが、
流行ってそんなもので、
現代は忘れ去られていくのが更に加速し、
世代ギャップを感じる昨今です。

それでも、100年200年300年前に作られた曲が、
演奏者がいるからこそ、
今も継承され、未来に残っていく。

ハイドンとかベートーヴェンとか、とかく難しく捉えがちですが、
(奏者はもちろん考えています)

聴衆は、それを聴いて、
どんな景色が現れ、
登場人物は誰で、
どんな色彩のなかに身を置き、
そして物語が始まり、何を感じ、
どんな感情が溢れてきたか…

それが耳からの贈り物だと思っています。

普段、
コンサートホールに出かけられないような世代の聴衆にとっても、
身近で、弦楽の調べが楽しめ、

どちらかというと、しっかりしたクラッシックのプログラムですが、
奏者のピアニッシモに徹底したこだわり、
弾くことの楽しさを感じたからなのか、
何か肩の力が抜けて聴け、
あっという間の1時間半でした。

とても綺麗にされている校舎。
高度経済成長の時代から、
たくさんの子供達が学び、遊び、
成長を育んだ場所。

穏やかな昼下がり。
学び舎のかつての子供達は
午後の授業で、
少し眠くなったり…
塾のことを気にしたり…
放課後の遊ぶ約束…

それぞれの時代の街の歌が、
この校舎から聴こえてきそうです。

洛西とWienと涼風

長かった酷暑からほんの少し解放されたのは、
まさにお彼岸を境にした9/23日。

京都、桂川を西に越え、
落ち着いた上桂駅で、阪急電車を降り、
わずかに日差しのやわらぎを感じながら、
青山バロックザールに向かいました。

ウィーン在住、
荒井優利奈さんのコンサート。

その日、阪急電車遅延もあったせいか、

シューマンの冒頭、ロマンティックで穏やかで美しい音楽に安堵し、
深みのある音色に癒されていました。

7年間、ウィーンで研鑽を積み、
今暫く、日本に滞在し、
まだまだ自身の磨きに挑戦していく姿は、
本当に芯が強く、
与えられた天性と、
並大抵ではない努力が成された果なのだと感服し、
舞台上では、
音符が輝きながら舞い踊っているようでした。

アンコールは『美しきロスマリン』

可憐で愛らしいロスマリンがそこに存在しているかのようで、
ヴァイオリニストによって、ロスマリンの風貌は変わるものだなぁ…と。

ここは都から離れた嵐山の麓。

ロスマリンもきっと、ウィーン郊外の自然豊かなところで、
これからの未来を夢見て過ごしていたことでしょう。
ロスマリンをまとう風は、
涼やかでとても軽やかでした。

La Vie en rose

岐阜高島屋閉店セレモニーのニュースを観ていたら、
「La Vie en rose(バラ色の人生)ラ ヴィアン ローズ」が流れ、

それまでは、
「高島屋が無くなったら、御進物や食料品はどこで買おう」
くらいに思っていたのですが、
(我家は歩いて10分)
エディットピアフの「バラ色の人生♪」と共に
シャッターが閉まるのを見て、
あれこれ思い出してしまいました。

高島屋ができたのは中学生の頃。
バラの広場で待ち合わせ。
大学の春休みに、
京風らーめん「あかさたな」でバイト。
素敵な服をみつけると、
仕立てと生地の質にうるさい母を公衆電話で呼び出し、
お墨付きをもらってから購入。
おかずが無いと、惣菜を買いに地下へ直行。
母も好きだった高島屋。

年代ごとにいろいろ思い出し、
なんだか感傷的になってしまいました。

47年
あまりに身近にあって、
当たり前のように利用していたので、
徐々に、淋しさと不便さが湧いてくるのでしょうね。

オードリーヘプバーン主演映画
『麗しのサブリナ』。
サブリナが、
NYから傷心を癒すためもあり、
パリに留学したとき、
夜の窓からはパリの景色。
この曲が流れ、
たどたどしいけれども、
この歌をよく口ずさみ、
パリで洗練された素敵なレディーに生まれ変わったサブリナ。

岐阜の柳ヶ瀬においては、
衰退の気配も感じながら、
サブリナのように、
変貌をとげるのを切に願うのみです。

パリ五輪の折、
『昼下がりの情事』もパリが舞台。
「魅惑のワルツ♪」もロマンティックな弦楽の調べです。

2024発表会

その日は
パリ祭で、
民衆が立ち上がった革命記念日。
民主主義を揺るがす、
歴史本に残るだろうアメリカ、
トランプ氏のアクシデント。
コロナが再び蔓延し始めた、
7月14日、
無事、発表会が終わりました。

幼稚園児から大学生まで、
皆さん、本当によく頑張ったと思います。
1週間前、
なぜか止まり止まりになってしまった生徒さん達が多数(汗)。
ゆっくり、丁寧に、楽譜をしっかり覚えて練習してね。としか言えなく、
祈る気持ちでしたが、
皆さん、本番はしっかり弾ききってくれて、ブラヴォー!です。

私が、
6月下旬にコロナ初罹患で、
レッスンもお休みし、
心配ではありましたが、
生徒さんを信じ、
また、この時期に感染したことが、有り難いと感じました。
(辛かったですが笑)
1.2週間遅ければ、
発表会は開けませんでした。
コロナに感染して『感謝』というのも変ですが、

ちょっとしたことで、小難が無難にコトが運ぶようになる。
高熱出しながらも感謝している自分に笑えてきました。

合奏は、
『キラキラ星』
『ユダスマカベウス』
全体合奏は、
長久手のジブリパークも徐々に充実してきて、
それにちなみ、
『ハウルの動く城』から2曲。

ここでも、コロナによるハプニングがあり、
どうしましょ…と思いましたが、
皆さんのご尽力で、
なんとか、無事、披露することができました。

いろいろな方法をみつけて、
信じて、目標だけに向かっていれば、
無事に過ぎていくものだと、
つくづく感じました。

この年齢にして、ひとつ勉強になりました。

生徒さん、ご家族の皆様、伴奏者、お手伝いくださった先生方、
(今年は名フィルの友人にも多大にお力をいただき)
そして、聴きに来てくださった皆様、
本当に、ありがとうございました。

毎年恒例、
父が好きだった北海道のバームクーヘンを子供達にお渡しすることができ何よりです。

良い夏の始まりでした。

三度目の正直ならぬ三度目の松竹座

 

2021年、
好きな演者さんのお芝居が観たいと、
大阪松竹座でのチケットをゲットしました。
あの当時、上演可能か心配するなかやはりコロナで全公演中止。

2022年、
同じ演目の再演が決まり、
楽しみに松竹座の前まで行き、
はたまたその場でその日から中止。
よくよく、縁がないものだと思っていたら、
今回、3度目にして、ようやく、
扉をくぐることができました。

しかも本拠地での松竹新喜劇。

子供の頃好きだった、
藤山寛美さんが立っていた舞台。

なんと、
お孫さんの藤山扇治郎さんにお取次していただき、
良席で泣き笑いさせていただきました。
古い人間かもしれませんが、
『笑い』って、こういうものよねって。

高田次郎さんが、
一瞬でも舞台にお立ちになっていたのには、懐かしさと驚きで、
隣席の姪御さんによると92歳とのこと。
素晴らしい。

若手古参が入り混じった松竹新喜劇。
良質な笑いを若手が伝承しようとしているのがよくわかり、
堪能させていただきました。

心に残るものは、
音楽でもお芝居でもなんでも、
個性的で質と品の良いもの。

泣き笑いと共に、
義理、人情、道理、温情、慈愛が
3時間のお芝居には詰まっていました。

観光客と極彩色で溢れ、
治外法権も感じる
道頓堀の赤い灯青い灯。

それでも、松竹座の中だけは、
懐かしくて勢いを感じる、
『古き佳き泣き笑いの灯』がともり、

その灯は、
ガス灯さながら、
なんとも温かく包み込まれるようで、
帰路が楽しくなる風情の灯でした。

これだけは貫きたい

バイオリンは難しいです。
音程を取るのも綺麗な音を出すのも。
『…持ち方も…』

はっきり言って、持ち方は自然に逆らっています。

バイオリンを手で持ってはいけない。
左腕、左手はひねらなきゃいけない。
右腕は自然な動きに逆らって弓を動かさなきゃいけない。
弓の持ち方は5本の指に意味があって、それをわかったうえで弓を持たなきゃいけない。

つくづく、
🎻「あなたに私を弾きこなせることができるの?」なんて、
楽器に嘲笑されているかのようです。

だからこそ、
教え始めて何十年もの間、
持ち方と基礎だけは、
私がわかる範囲でしっかりお伝えしようと心に決めてきました。

基礎がしっかりしていれば、
(プロが突き詰める基礎はもっと深いですし、流派もあります)
たとえ、弾かない時期があったとしても、再開することができます。

間違った持ち方のままだと、
正しい持ち方を修得するのに
倍以上の時間と努力が必要でしょう(何が正しいかの議論はありますが)
直らないことが多々です。

 

恩師が、
【持ち方の間違った生徒を排出することは罪だと思わない?…】と。

この言葉が何十年も心に刺さっています。

ここだけは、貫いてきた信念です。

さて、
今月は、その恩師の演奏会があります。
ボーイングのテクニックは本当に美しく、
私自身、もちろん『音楽』も、
再確認するチャンスです。

幼い頃の思い出

気候も良くなり、
なんとなく普段通らない道をお散歩していたら、
たわわに咲く木香薔薇に出会いました。


生徒さん達は今、
7月の発表会に向け、
まず、独奏曲の練習に頑張っているところです。

今年の合奏は、
幼稚園児のために、
小学5年生までの生徒さん達と
『キラキラ星』

小学生全員で、
『ユダスマカベウス』

大学生のソロ曲が終わってから
全員合奏で、
『ハウルの動く城』から「世界の約束」「人生のメリーゴーランド」


合奏曲はまだこれから練習に入るところですが、
今年も心に残る会になりますように…と、
夏まで、私も気を抜けない状態です。

今年は、
高校生のピアノソロ、トロンボーンソロにも演奏披露していただき、
また、合奏賛助として、
名フィルの友人、他にヴァイオリン仲間もお手伝い下さり、
有難い限りです。

木香薔薇の花言葉に
『幼い頃の幸せな時間』とあります。


誰ひとり欠けることなく、
発表会での時間が、
幸せな時間になりますこと、
そして、
佳き思い出になりますよう、
自身の精進も忘れず、

藤棚の下で、
巡る思いを馳せていました。

ドラドラ♪シンフォニー楽団

昨年、
ドラえもんの映画の子供オーケストラ団員を募集しているので、
生徒さん(兄妹)とお友達4人でカルテットを組んで応募しました!と、
報告があり、
「合格するといいねぇ」
「ジャイアンの服でも着てアピールしたら」
なんて、話していたら、
あれよあれよとオーディションを通過していき、

ついに、
『ドラドラ♪シンフォニー楽団』30組のメンバーに選ばれました!と、
嬉しい報告がきました。

何度かテレビ朝日での練習があり、
葉加瀬太郎さん、芳根京子さんも参加して、

いよいよ、
2024.2月24日
東京大手町の日経ホールにて、

沢田完氏指揮「夢をかなえて」
葉加瀬太郎氏作曲指揮「君のポケット」のコンサートと、
ひと足早く、
「ドラえもん、のび太の地球交響曲」の試写会がありました。

有り難くも、
私もお席をご用意いただき、

子供達のアンサンブル練習の成果に感動し、
葉加瀬太郎さん、芳根京子さん、芸人のかが屋さん、テレ朝アナウンサー坪井さん(久米宏さんの頃のニュースステーションでバイオリンを披露していたのを記憶しています)
もちろん、
モーツァルトヘアーのドラちゃん登場で、会場は盛り上がり、
客席の手拍子も熱かったです。

三味線等、いろいろな楽器のアンサンブルで、
小学生のこの時期に、同世代で違う楽器に触れ合うことができ、
合奏ができること。
しかも、曲はノリノリに楽しい🎶
ドラちゃんや葉加瀬さん、芳根さん、かが屋さんにもお会いでき、
映画のエンドロールにも名前が載り、
羨ましい限りです。

前日練習、
当日練習も時間が長く、
小学年には辛いかもしれませんが、
楽しいイベントで、
「我慢」「忍耐」「静かにお話を聞く」「同じ目標に向けみんなでひとつになる努力をする」
それだけでも、大きな成長のきっかけになる経験をしたと思います。

葉加瀬太郎さんの作曲した曲は
Fdur(へ長調)
これは、ドラちゃんのドとラ、藤子F不二雄先生のF(ファ)。
ファラドで構成されるへ長調の曲の
「きみのポケット」。
ちゃんと意味がありました。

ここ4ヶ月あまり、
私もドラえもんの曲が大好きになり

音楽は瞬間芸術ですから、
終わってしまえば消えてしまいますが、
子供達の心、親さんの心にも一生残る素敵な瞬間だったと思います。
もちろん私にも。

親さんの
「音楽を続けてきて、こんな素晴らしい機会と仲間をいただけたことが嬉しいです」と。

この言葉が私も何より嬉しいです。

音楽は素晴らしいと子供達に教えてくれた
ドラえもんとみんな!

♪♪♪ありがとう♪♪♪

東京で…

東京で…

初台の東京オペラシティでのコンサートに行ってきました。

以前、母と日本音楽コンクール本選を聴きに訪れたとき、
ここから新宿寄りにある母の母校である、
文化服装学院(現、文化学園)に寄り、
訪れるのは60年ぶりくらいらしく、
変わり果てても、懐かしがっていたのを覚えています。

今回、
私は、亡母を連れているつもりで、
母の眼となり、足となり、
再度、文化服装学院の前まで行ってみました。

立派な現代的な建物。
都庁に合わせたのかな???

母の時代と、今の時代は違いますが、よく、
「休日はみんなで、寮から銀座まで歩いた。楽しかった!」
なんて話を嬉しそうにしていたのを思い出します。

銀座が好きな母。

昭和22年創業の
洋菓子舗「銀座ウエスト」。
学生だった母には、高級だったかもしれず、
訪れたのかどうかはわかりませんが、

今、売り上げの一部を、
能登半島地震の義援金にと、
それに賛同し、
この日は刺すような寒さでしたが、外で並び、
ここの馴染みであろう
品の良いご婦人方とのお喋りで暖をとりながら、
順々に扉をくぐっていきました。

昔ながらの趣き。
ベートーヴェンの大きな胸像。
蓄音機は…どこかしら?
雰囲気に溶け込む絵画。

店内は、室内楽がちょうど心地よい音量で流れています。
お喋りするにも、ひとりの時間を楽しむにも、
耳に優しい音楽。

読書する人、
周りへの気遣いを感じる静かな会話を楽しむ人、
香りの濃い紅茶をお代わりして
質の良いケーキ(いちご甘くて、生クリームも良質)を楽しむ私。

テーブル毎に異種の生花と、
「風の詩」と題したエッセイの冊子。
さすがに、かつての文化人達が集いたくなる空間です。

店内は弦楽器の音色と共にゆっくり時間が流れています。
…外にはたくさんの人が並んでいましたが…。

決して広くない店内ですし、
今の時代のインスタ映えなる趣向とは全然違いますが、

古き佳き銀座を感じさせ、
接客の温かさ、
上質な音楽、
品の良いお菓子とお茶。

母にも雰囲気を味わってもらいたかったと、
生前の東京散策ルートに入れなかったことに、
ほんの少しの後悔を残し

昭和の薫り漂う銀座の一角を、
母と北風と共に去りました。

2023を想う

苦しいことも哀しいことも辛いこともたくさんあった年です。
でも、それを糧にして、
今後の誰かのお役に立てれば、と、
今年ほど思惟した年はありません。
気がつくといつも、
「いつか叶う♪」という明日への希望の歌を口ずさんで自然に楽しくなっている自分がいました。

歌って凄いですね。

反面、嬉しいこともたくさんあり、
周りの人達の優しさ、温かさ、慈しみをいただき、
私も、お返ししていかなくてはと
覚悟した年でもあります。

生徒さん達も、
最後のレッスン時に
「今年一年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします」
小さな生徒さんからも、
「良いお年を」と、
立派なご挨拶をいただくと、
生徒さんの成長や、
ひとりひとりのいろいろなことを思い浮かべ、
一年の様々な瞬間が頭をよぎります。
同時に着実な成長に安堵感も覚えます。

年末恒例のコンクールも考えていましたが、
それよりも嬉しい報告を受け
(詳細はまだ話せませんが)
私自身も、共に嬉しくなってしまい、
稀有で最高のプレゼントを、
生徒さんからいただきました。

2024は
まず、東京オペラシティでのコンサートに足を運びますが、

以前、母と
オペラシティで
『日本音楽コンクール』バイオリン部門の本選を聴きに行く途中、

新宿と初台の間に建つ
母の母校『東京文化服装学院』の前で、
周りの変わりゆく風景に、
母がキョロキョロしながら、
目を丸くしていたのを思い出します。

来年は母と一緒に歩いた道を辿ってみようと思います。

道。
人生でいえば、
ここがひとつの節目で分岐点なのだと、つくづく感じる昨今。

孔子曰く『耳順う(したがう)歳』

凝り固まらず、柔軟に、
周りの声をいかに聞けるよう、
自身が努力できるか…。
まだまだ足りない自分の、
人としての成長を目指し、
私は私だけの道を、
前進していきたいと思っております。

慌ただしい一年でしたが、
私に関わって下さった全ての皆様に、
感謝申し上げたいと存じます。

…ありがとうございました…

2017-2024 岩﨑バイオリン教室