麒麟がきた

今年は、大河ドラマと朝ドラが私的には面白い。

子供の頃に観た『国盗り物語』のキャストが潜在的にすり込まれていて、
どうか?…と思ったけれど、
なかなか、どうして、
俳優陣の演技に引き込まれ、
光秀側の視点でどのように描くのだろうと、録画予約していたら、
コロナで麒麟が渋滞してしまった。

朝ドラも、これまた個性的な登場人物に惹かれ、欠かさず、BS放送、7:30にはテレビ前に着座。
これまた、G.P(音楽用語でゲネラルパウぜ)

昔から、ふと思うことは、

確かに家康は250年もの天下泰平の世の中を作ったけれども、
もし、信長の意志の世になっていたら、

西洋と交流をもち、新しく珍しいものを受け入れ、
それこそ、西洋音楽も早くから入ってきていたのかも。
反面、いざこざも多いでしょうが。

もちろん、今の世とは違い、
伝わるのには年単位で時間がかかるけれど、
チェンバロ伝来、ベートーヴェン以後ピアノ。
バッハやヴィヴァルディの曲が、
日出ずる国にも流れていたかもしれない。
ヴァイオリンも、アマティだのグァルネリだの。
信長の子孫が所有していたりして。

…なんて、今更、有り得ない想像をしてしまいます。

医学も、基盤が早く整い、日本の研究の発展もどうだっただろう。
ただ、ウィルスも、同時に進化。

歴史上、人間とウィルスのイタチごっこですが、
今回も絶対に人間が勝つ!と信じて。

今の時代、
「麒麟」は、このウィルスに打ち勝つ人間の「叡智の結集」。
麒麟が早く来て欲しい!

道三、光秀、信長が、
天下を取ろうと画策した稲葉山城見上げる長良川付近で、
何匹か戯れるトンボを発見。


そうこうしているうちに、
2020、秋です。

岐阜非常事態宣言を受けてのお知らせ

今年は短い夏休みのうえ、自由に振る舞えないストレスが溜まることと思いますが、
猛暑の折、お部屋を閉め切っての冷房部屋でのレッスンに、
換気を完全にすることに私自身不安があるため、
全ての曜日のレッスンを
8/5から2週間、お休みいただきます。
お休みの分、年間回数は守らせていただきます。

お盆明け、マスク着用で、手消毒はご用意しておりますので、今まで通り、必ずご使用して下さい。

ウィーンフィル再開

はや6月

2020.6/5、ウィーン、
ムジークフェライン黄金ホールにて、コンサートが再開されました。

当代の巨匠ピアニスト
『ダニエル.バレンボイム』指揮で
モーツァルト、ピアノ協奏曲(弾き振り)
ベートーベン、交響曲「運命」

観客は100名以下。

芸術や文化に対する敬意と、それが生活の一部になっているウィーン人にとっては、何より嬉しい再開でしょう。

続けて6/14には、
『リッカルド.ムーティ』指揮で、シューベルトやシュトラウスのプログラム。

ニューイヤーコンサート時の、
舞台に溢れんばかりの花々と
ドレスや時々和装の女性が彩る、華やかな客席。
桟敷席も舞台袖あたりもいっぱい。
…とは違い、かなり客席を空けての配置。
…関係者のリハーサルかしら?と思うほど。

しかし、
ひとりひとりの拍手は、いつもより大きく、『ありがとう!』という言葉が拍手に乗せられているような響きでした。

10年程前に、もったいなくも、この舞台に乗せていただきました。
舞台から見る客席。
この光景を忘れないでいようと思ったものでした。

舞台側と客席側が時間と場所を共有し、
そこに瞬間芸術が生まれ、同時にそれぞれの感動を覚える。
今まで、当たり前だったことが、
ソーシャルディスタンスの今、
奇跡に感じます。

まだ、時間的に短いプログラムみたいですが、

有事に一番必要ではない…かもしれない芸術が、
有事だからこそ、感情や感動を持ちあわせる人間には必要なもの。

だから、300年も前のバッハなどの音楽が、受け継がれ、今でも感動し、敬仰を抱き、何があっても間違いなくこの先も残っていくはず。

第二次世界大戦中の実在のユダヤ人ピアニストを描いた映画
『戦場のピアニスト』
悲惨なゲットー内での隠れ生活のなか、人目をはばかりピアノを爪弾くショパンの響きは、
暗く哀しい映像を吹き飛ばし、
涙が出るほどの美しさでした。

パリ解放…日本は?

予想通り、緊急事態宣言が延長です。
コロナの怖さには仕方ないと思いながらも、政府のビジョンの曖昧さに、
歯痒さしかありません。

そんななか、パリに住む友人から動画が送られてきました。

パリは3月にロックダウン。
病院内では3分にひとり亡くなる状態だったらしいです。

ロックダウン前のリュクサンブール公園。
普段は、人がいっぱいらしいのですが、
グレーの空と共に淋しい。

ロックダウン中、
薬局に行くため外出したら、交通量激減のため空気がキレイになり、すごく青空が澄んでいたそうです。

5/11にロックダウン解除の宣言が出た途端、
まだ、ロックダウン中なのに、
人々が街に流れているらしく、
イギリスやフランスに住む日本人は、そのような行動をとらないため、
欧州人とは違うポリシーに、不思議がられているみたいです。
でも、自分の身は自分で守らなきゃ!と、友人は言っています。
そのとおりだと思います。

国によって、首脳の判断が違う。
この国はいつも曖昧。

そもそも、、、
今から言っても遅いのですが、
台湾やニュージーランドの女性首相のように、ハッキリした初動判断の違い。

スマートライフ…?
…それは、今、苦しんでいる人達を救ってから、その後の話。
スマートにしなきゃいけないのは、
ややこしいこの国の手続き。

フランス解除後、ウィルスとの闘いがどのようになるかはわかりません。

ノルマンディー上陸でパリ解放へ導いた連合国軍(当時の日本では敵国ですが)のような存在は、
今回はいません。

結構頑張っているこの国の人々は、今、
未知のウィルスと、
ドイツの首相のように、芸術家に対する敬意の気持ちはこれっぽっちも感じられない、想像力と創造力に欠ける首脳陣と向き合わなきゃいけないんですね。

後者に対するワクチンは、どこにあるのでしょうか。

《昭和》だけど癒されるサウンド

少し前、ふとCMから流れてきた
「somethin’ stupid」の心地よさを感じ、
早速、この曲に浸りたくなりYouTube検索。

元々はフランク.シナトラと娘さんの仲睦まじい(シナトラはいろいろ黒い噂もありますが…)デュエットソングです。が
邦題「恋のひとこと」。
故大滝詠一と竹内まりやのハーモニーもとても素敵です。(こちらの方が良いかも)

間奏のストリングス(弦楽器)の高音のアレンジも、どこか遠い異国へ誘ってくれているようで、
昭和の時代のストリングスの使い方、好きです。

すごく古いですが、
昔、深夜に流れていた城達也のラジオ番組、
『ジェットストリーム』のテーマ曲、「Mister.lonely」もストリングスの音色に、一日の終わりの癒しを感じていました。…まだ、大学生でしたが(笑)

高校時代、爆発的に売れた、
『A long vacation』『ナイアガラ トライアングル』のアルバムで、大滝詠一、佐野元春などを知り、
(私達、音楽科のクラスでも、カセットテープが出回るほど)
大滝詠一のアンニュイだけど、上手くて甘い歌声に、どんな人だろう??と、
友人達と想像していました。
……今のようにすぐ検索できませんからね。

特に印象的だったのが、
私の記憶が確かかどうかわかりませんが、
海辺で、松坂慶子さんが、品良く美しく素敵なサマードレスでグラスと共にたたずむ、眼薬のCM。
BGMは、大滝詠一の「カナリア諸島にて」。

この曲も素敵なストリングスのアレンジが入り、このCMが流れるたびに、ブラウン管を観ていました。

弦楽器の典型的な特長を上手く取り入れているアレンジを聴くと、
なんだか、素直に「いいなぁ」って、
こんな複雑な時代だからか、感じます。

カナリア諸島…どこにあるの?と、
高校時代調べた記憶があります。
アフリカ大陸の横、スペイン領で欧州人の避暑地。
昭和の時代は夢のまた夢の異国。

平成になり、海外がとても近くなりましたが、

令和が始まり、今は、別の意味で遠いですね。

《豪華版、民衆の歌》

『♪戦う者の歌が聴こえるか〜
鼓動が、あのドラムと響きあえば』

ミュージカル界の豪華メンバーが、
『レ、ミゼラブル』の「民衆の歌」を
リモートで歌いあげています。

歌唱力抜群のラミン.カリムルー氏も参加。
ガブローシュ役だった加藤清史郎君も、大きくなって…。

【レミゼの民衆が戦う相手は、
フランスの権力者。貧富の差】

今も、この国の権力者の判断に物申したいことはたくさんあるけれど、、、

今は、戦う相手は目に見えないウィルス。
今は、自粛生活にどうにかなりそうな自分自身の精神力。
今は、自分自身が、この病気と戦っている人々、
命を救う医療従事者への感謝と安息を祈り続ける心。

『♪列に入れよ。我らの味方に』

だとしたら、世の中、時々どうでもいいことで場外乱闘が起きていることが???、、、
わからない。
どうでもいいことは、頭のなかで削除。
戦う相手はひとつ。皆一緒。

『♪砦の向こうに世界がある。
戦え、それが自由への道』

今回の砦は地球規模ですごく大きい。

学校授業が再開できないなか、
一部の若者達が署名を集め、世の中を動かそうとしている。
彼らの道を応援することしかできないけれど、
有事に先導をきる若者が出てくると
頼もしさを感じる。

同時にほんの一部の情けない大人には悲しくなる。

『♪新たに熱い生命が始まる
明日がきたとき、そうさ明日が』

ジャン.バルジャンもジャベールも
ファンティーヌも エポリーヌも
マリウスもコゼットもガブローシュもひとつになって明日を信じて熱唱している。

 

そういえば、何年か前に、発表会の合奏でこの曲をアレンジして、
子供も大人も、みんなでひとつになって一緒に弾きました。

亡き父も、
『ああ、無情』という一切れのパンのために…という話があってな…。と、
小さな頃、話してくれたのを思い出します。

『豪華版 民衆の歌』
私は豪華ではない、単なる民衆の一人だけど、

私も一緒に歌おう!!

『我慢』できる強さ

お仕事自粛中で、はっきり言って『ヒマ』です。

お部屋で自粛中

ニュースで、中心地の人波は減っても、商店街や海など行楽地の人の多さ。
なぜ、我慢できないのだろう???と、不思議に思ってしまいます。
多くの命のために皆が我慢してるのに。

結局、
『我慢』って、昨日や今日、培われるものではないんだな、って。

少なくとも私の周りの、
小さな頃から芸事を習ってきて、
毎週毎週決まった時間にレッスンにいく子供時代。
習い事を諦めず、継続した中高校時代を過ごした友人達は、皆、必要最小限の外出にしています。
なぜ自粛しなきゃいけないのか理解しているから。
それに対する忍耐力があるから。
(これは芸事には限りませんが)

子供時代から習い事をしてきて、
必ずしも順風満帆にきたわけでもなく、
やめたくなったり、練習したくなかったり、叱られたり、
実技試験の前の日なんて、
『明日、学校が火事になればいいのに』…なんて、
ひどいことを、たぶん、みんな思ったと思います。
でも、何事もなく、無事に実技試験は行われるんですよねぇ。…これが…

みんな、
時には友達の誘いを断って、優先順位を決め、やらなきゃいけないことをやる。

意味のない我慢はしなくていいと思うのですが、
今は、意味のある我慢。

『我慢、忍耐』って、子供の頃からの積み重ねで、
大人になってから、それを得ようとしても、『時すでに遅し』

経済が回らなくなり苦しんでいる人。
危険と隣り合わせで命を救い続けている医療従事者。
救うのは、私達ひとりひとりの我慢。

我慢していても、必要な外出でウィルスを拾うことがあるかもしれません。
こんなことを言ってても、私の明日もどうなることやら。

『忍び耐えた』あとの、
数々の楽しい出来事を思い描きましょう。

きっと、その時の喜びは、
今、どこか遊びに行く喜び以上に、
もっと、当たり前だったことが当たり前ではないと心の底から感じ、
我慢した人ほど大きな喜びになるのでは。

TVから医療従事者へ向け、
銀座和光、服部時計店(母は未だにこの呼び方です)の
『命の鐘』が聞こえてきました。

ふと、今の朝ドラ、古関裕而さんの『長崎の鐘』が頭をよぎります。

兵庫県立芸術文化センター監督、指揮者の佐渡裕さんも、
「すみれの花咲く頃」の動画でみんなの心をひとつにしてくれています。

ヴァイオリンの街、イタリアクレモナでは、日本人ヴァイオリニストが、医療従事者へ向け、屋根の上で素敵な音色を奏でています。

映画『ニューシネマパラダイス』の美しい旋律と、鐘楼が浮かび上がる夕暮れのなか、生きる力を表すような真紅のドレスに、
勇気と癒しと祈りが、音の雫となって、クレモナの空気を浄化しているようでした。

個性に期待

令和2年になり、
1月に「コロナウィルス」という言葉を初めて聞き、何ヶ月か先に、まさか、このような事態になろうとは…。
1月に大阪梅田を訪れたとき、慣れないマスクを付けながらも、それほど危機感もなく、闊歩していました。

ここも梅田の中心です。

この非常事態に、私が一番しなくてはいけないことは、
「おうちで過ごそう」

となると、TVの視聴時間が長くなります。
普段あまり拝見することのない他県の知事さんもインプットされていきます。

それぞれの県の特色が違うのを、
「なるほど」と思いながら観ています。

その中でも賛同するのは、
独自のアイデアで、大阪知事と市長がタッグを組んで、早め早めの行動。
雨合羽までのアイデアが出るとは。

1838年、大阪船場に設立された蘭学、医学を学ぶ、緒方洪庵の『適塾』

塾生は、立身出世など求めず、純粋に学問を求めた若者が多く集まり、
教える者と教えられる者がお互い切磋琢磨していたという、
ある意味、受け身体制ではなく、現代に求める新しい学習では。
そして、物事のすべてに通ずる理解力や判断力を養ったそうです。
その結果、名だたる多くの優秀な弟子を輩出。

若い頃から、この適塾は、なにかが、違う。
個性的。商人の町である西の自由さ。と興味が湧いていました。

その流れが、ずーっと続いているのでしょうか。
純粋に、今、目の前にあることの優先順位を考え、何とかしなくては。と。

実際のところは可能かどうかわかりませんが、
大阪の医療がワンチームとなって、ワクチンを開発しようとしています。
(各自治体の医療従事者には頭が下がるばかりです。)

ワクチン無くして、この禍いは終息しないと思っておりますので、個人的には凄く期待しています。

緒方洪庵にも、あの世から弟子を引き連れて、後押ししてもらいたいものです。

いろいろなシガラミが邪魔をして、
本質、優先しなくてはいけないことが見えなくなる。
それでは、取り返しのつかないことになる。

個性的な意見、大胆な考え、先を見通す判断力。
それが、世の中のためであれば、各々の首長にはどんどん取り入れていってもらいたいものです。
本当に人々のためであれば、私達は納得できます。

ちなみに、大阪大学医学部出身の手塚治虫さんの曾祖父も、『適塾』出身。

漫画という違う分野で、医学を基盤に唯一無ニの個性を発揮され、多くの子供たちに夢を与えて下さった先駆者ですね。

そういえば、阪大が舞台の「白い巨塔」など、数々の社会問題を取り上げていた山崎豊子さんも大阪船場出身でした。

阪大近くを走る大阪モノレール

『感じるままに…』

人生初の行動自粛。

「100日後に死ぬワニ」
「桜と終雪」
「志村けんさん」

ワニの当たり前の日常が突然終わる。
外野の声もネットの中では多いですが、単純に、
なんて、何気ない一日一日が貴重なんだろう。

東京で外出自粛が出された休日。
大都市で、強制でもないのにそれが守られるのかしら???
と心配していたら、桜に積もる雪。
自宅に足を止め置くには、
なんて、機転のきく計らいをした天の神様。

子供の頃から笑わせてくれた志村けんさん。
幅広い世代に、笑いを届けた志村さんの生き様。
幅広い世代に、このウィルスの怖さを教えてくれた志村さんの死に様。
なんて、大きな使命を持った「変なおじさん」だったのだろう。

多くの他人のために自分の欲求を抑え、我慢して、耐えられる人が本当の強さ。

長い間耐えて、見事に咲く桜が散っても
まだまだ、私たちの本当の強さが試されるとき。
そうしてても、忍び寄るこのウィルスの怖さ。
耐えましょう。


必ず、そのあとには、また満開の花が咲くはず。
待ちましょう。

2020、憂い

以前、ブログで、この国の「民度」という言葉を使いました。

岐阜に住む私は、阪神大震災も東日本大震災も、実際の苦汁を味わったか…ということでは、否です。
ただただ、同じ日本国民として、一日も早い復興を祈るのみでした。

今回、突然の世界的なウィルス感染。(初動決断が早ければまた違う結果だったもしれません)

見えないものへの恐怖。
不確かな情報源への疑心と翻弄。
政治への不信。
今は暗いトンネルのなかの、どの地点なのか?
出口はどこなのか?

有事の際、心あたたまるエピソードの傍ら、必ず、わずかな心無いことから、憂えな出来事も起きます。

《この国の民度》

長い長い間、性善説を基盤に考えられてきた「決まり」や「想い」が、ここのところどうでしょう…?
「自分さえよければ…」
(亡き父が、この考え方を常に嘆いていました)

いろいろ、心無い、情けない報道を聞いても、
それでも、まだ、この国の民度を「高い」と信じていたい。
自分自身も襟を正しながら。

友人が、
マスクを求めて買い走るわけでもなく、早いうちから、余った布でマスクを作っていました。

『無いのであれば何とかしよう。』
まず、自分ができることから。
こういう考え方があっぱれだと尊敬しました。

今、大切な物資は、本当に必要とする現場へ。

世界が心ひとつで、
各々の専門分野は専門家を信じて、
この事態から早く脱し、
経済がまわるよう、
この見えないモノに立ち向かい、
早急な終息を願わずにはいられません。
今こそ地球ONE TEAMで。

…母が洋裁のプロだったため、逆に、私はその道は全くで、私が作るとチグハグな縫い目のマスクになるでしょう。
…今回の政治的対策と同じように。

2017-2024 岩﨑バイオリン教室