パリ祭から思うこと

2023.7月14日.
岐阜のメゾンクチュール.みねこ様主催、
日仏協会後援のパリ祭に、
ヴァイオリン演奏でお邪魔させていただきました。

ソシアルダンス、シャンソン、ファッションショーと盛り沢山で、
華やかな宴でした。

1789年7月14日
民衆が君主政治の象徴である
バスティーユ牢獄を襲撃したのを発端に、フランス革命が勃発。
そして、一年後、革命記念日となり、のちにこの日をパリ祭と。

今現在も、パリでの暴動が気がかりではありますが…

母の影響なのか子供の頃から
越路吹雪さんが好きで、
越路さんがテレビに出演されると必ず観ていた、
ちょっと同世代とは違う嗜好の私でした。

今回はシャンソンの曲ばかりを弾かせていただき、
心踊るひとときでした。

行く道すがら、
とても素敵な花が咲いていたので調べてみたら、『ムクゲ』と知り、
古の初期の華道では「禁花」と言われ、忌み嫌われていた花だとか。
こんなに可愛いのに…

花の儚さが、一期一会に繋がると、千宗旦が好んで使うようになり、
江戸中期からは一般的に。
夏の茶花としては欠かせないそうです。

フランス革命、
民衆が王政に反旗を掲げ、
パリでは多くの血が流れ、
その後も恐怖政治で多くの人が断頭台へと。
多くの犠牲の上に共和制が築かれ、
この7月14日は、王政を倒す契機となった象徴としてお祭りに変わっています。

ムクゲにしても、
パリ祭にしても、
今に至るまでの歴史があります。

ウィーンで購入してきたレース生地。
施設でもうろうとして動けなくなった母が作ってくれたドレスを、
もう、お直しもしてもらえない…。
このドレスにも歴史がある。
大切にしなくては…と。

眼も見えなくなっているので、
毎日会いに行くと、
手をぎゅ〜っと握ってきます。
この手で全てのドレスを作ってくれた娘への愛情を感じる日々です。

 

ムクゲは、
「花は一日の命だが、その生を全うする」
『今』が大切なのだと、
この可愛いお花から教えてもらいました。

ちなみに、ムクゲの花言葉は
『慈しみ』です。

桜咲く適塾〜教授散る

大阪船場の本町に午前中所用あり、
昼下がり、芦屋に行かなくてはいけなかったのですが、
少し時間があったので、
歩いて淀屋橋方面に向かいました。

ちょうどお昼時、
たくさんの人々の賑わいのなか、
緒方洪庵の『適塾』発見。

適塾の前を目もくれずランチ目的の人々をよそに、
そこだけ時空が違う空間、
古式蒼然とした佇まい、
現代の商業ビルのなか、
不思議な違和感を覚え、
足を止めてしまいました。
隣家には一本の桜が。

適塾は、
コロナ禍が始まった頃のブログにも書きましたが、
緒方洪庵が、蘭学、医学を志す若者のために作った学校。
日本を牽引してきた多くの著名人がここで学び、
岐阜出身者も多く、なんだか誇らしく感じました。

落ち着いた居室、よくお手入れされている庭、
びっくりしたのが、
外廊下の狭さ、これですれ違うのは、誰かが庭に降りないと…。
階段の一段の高さと、幅の狭さ。
私の足でも飛び出てしまい、
上るには体力使うし、下りるには、かなり怖い。
昔の人は今のような体格でないとはいえ、
たくさんの若者がここを上り下りし、
切磋琢磨していたかと思うと、
当時の喧騒が聞こえてきそうです。
塾生たちはこのコロナ禍を
どう乗り切ろうとしたのだろう…。
想像が膨らみます。

外に出ると普通に現代のランチタイムの往来。
私だけがタイムスリップしているようで、
まさに「JIN」の世界でした。

きっと、
当時の船場の活気からして、
たくさんの往来と、たくさんの塾生で、
常に賑わっていたのでしょう。

議論伯仲、喧々ごうごう、
人々の話し声のBGMが聴こえてきそうです。

一転して、
芦屋での落ち着きと、
これまた、
所用で訪れた日本建築の閑静な佇まい。

芦屋川の桜、
柔らかな風と、眼に優しい自然色、
薄桃色の傍で、
早くも、わずかに舞う花びらを
ただただ見つめるだけの贅沢な時間

桜を愛でるBGMは、
知らない人との穏やかな会話、
楽しげな子供の声、
そして、刹那的な桜を静かに見守るゆるりと流れる水音。
いろいろなBGMがあっていい。

ブログを書いてたら…

…『教授』坂本龍一氏の訃報が入ってきました。
私達の世代には憧れの存在です。
YMOのときとは違う、
呼吸のようなピアノの音色がテレビから聴こえてきます。

桜満開の頃、作品を遺し、
散り急ぎの感がかなり残念ですが、
見事な咲き様でした。
ご冥福をお祈りいたします。

ミモザのような小さなヴァイオリニストたち

2023.3.19(日)
岐阜国際会議場メインホールにて、
岐阜県交響楽団の企画で、
オーケストラをバックに
園児〜小学2年生までの『ちびっ子ソリスト』15人が、
ゴセックの「ガヴォット」を演奏させていただきました。

私の生徒も5人出演させていただき、
とても貴重な経験をさせていただけたこと、岐響さんに感謝です。

各々が一生懸命お家で練習しても、
みんなで合わせると、
子供達の個性はそれぞれ違うので、
なかなか合いません。

みんなの呼吸をどのように合わせたらよいのか…

どのようにしたら指揮者を見るようになるのか…

 

岐響さんから、指導のご依頼をいただき、
子供達が楽しみながら合わせられるアイデアを考え、
本番前日、30分の練習で、
なんとか息が合うようになりました。
個性は個性のままで。

リハーサル

さて本番…
紳士、淑女に変身した小さなヴァイオリニスト達は、
笑顔で舞台に上がり、
舞台袖のモニターをみつめる私達は、
曲の途中途中、
合っていく瞬間に、
「良かった! やったね! みんな頑張った!」と小さな声をあげ、
涙している方もいました。
みんな誇らしく立派でした。

…ミモザの季節…
小さな小さな、黄色に輝く花々が集まり
思わず眼を奪われてしまうミモザの樹々。

小さなヴァイオリニスト達が、
ひとりひとり練習して明るく光り、
全員でひとつの曲を披露する姿は、

ミモザに負けないくらいの黄金の輝きを、、、
とても純粋で愛らしい輝きを、、、

舞台の上で眩しく放っていました。

岐阜新聞より

半世紀続ける…

コロナ、インフルエンザが蔓延するなか、1/21に、無事
発表会を終わらせていただきました。

お正月を挟んだにも関わらず、
皆さんよく頑張られたと思います。

一年半毎の発表会。
夏と冬。かなり過酷な季節の発表会ではありますが、
まず、ひとりの欠席者もいなかったことが、なにより、嬉しかったです。

小さな子供達は教則本を地道に練習し、
そこからちょっと背伸びした曲選び。
何年も頑張ってきた生徒さんは、
今年は、
ベリオ、バッハ、ヒンデミット、パガニーニ、シベリウス。
難曲に取り組み、それぞれが、堂々と立派に弾いてくれました。
続けてきたからこそ、身についたことです。
いつの日か、そのことに喜びを得ることでしょう。

合奏も
小さな子供達での「メヌエット第3」

全員で「オペラ座の怪人」

次の日、
魂の休息…ということで、
兵庫県立芸術文化センター大ホールにて行われた、
アロージャスオーケストラをバックに、
安奈淳、上田正樹、etcのコンサートに行ってきました。

上田正樹さんは、生で聴くと
エネルギッシュで
グルーヴ感が細胞単位で動いてて、
とても、73歳とは思えない。
けれど、そのお歳だからこそ出てくる渋さ。

ブルースにのめり込んだきっかけも
面白可笑しくお話下さり、
あとから調べたら、
岐阜高校〜岐阜大学ということにビックリ!。
お父様が京大合唱部だったため、
自分はベートーヴェンが好きと、
(ホントかウソか、笑いが起こっていました)
第九をブルース調に歌われたり。。。

さて、お目当てだった、
私の子供の頃のスターさん。
元宝塚の四天王のひとり、
安奈淳さん。
約50年前に、舞台を観て、一気に魅了され、
歌が上手く、可愛くもカッコよくもあり、子供心に憧れのお姉さん?なのか、お兄さん?なのか…???
ものすごく遠い存在だったスターさん。
今回は企画の知人からのお誘いということもあり、
安奈さんの眼の動き、瞬きさえわかるほどのSSS!席。
「安奈淳さんに歌ってほしいリクエストはありますか?」と知人から尋ねられ、
リクエストした懐かしい歌を歌って下さったときには、
驚きの声をあげてしまいました(小さくです笑)

上田正樹さんよりも年上の安奈淳さんが、
今でも現役で歌える。
ご病気もされましたが、
長年、レッスンを積んで、
日々の練習を怠らずされていたからでしょう。

今でも透き通るような肌に大きな眼。美しく輝やいていらっしゃいました。
根っからの関西人で、
力の抜けた感のお話も面白いのですが、
なんともチャーミングで品格のある「華」を感じます。

子供の頃の私に伝えたいくらいです。

【50年後に、ものすごく近くで安奈淳さんに会えるよ。
そして好きな歌を目の前で歌ってくれるよ】って。

長い年月を経ても芸事が披露できる。

安奈淳さんの歌一筋の生き様に、
尊敬と、子供の頃と同じ満面の笑みで拍手をしている私でした。

生徒さん達も、
どんな形であれ、
長くバイオリンに携われる人生になってほしいと、
皆さんの50年後の演奏は、私はもう聴けないでしょうが、
空から楽しみに耳を傾けています。

この3年間これからの未来

世界がパンデミックになり、
世の中が変わり始め、
入学してきた生徒たちが、
今年、高校を卒業します。
初対面はオンラインでのレッスンでした。

マスクを付けた顔の印象が強いままです。

修学旅行も無くなり
『青春は密』と、
高校野球の監督も仰るとおり、
自身の学生時代を思い出しても、
濃かったと思います。

それでも3年間頑張り続け、
きっと友との絆も深くしたであろう
高校生の卒業演奏会が、
先日、無事、終了しました。

皆さん、
お疲れ様でした。
素晴らしかったです。

私の生徒も、
プログラム最後の演奏ということもあり、
この長い1日を、
良い経験でもあり、
緊張続きの連続でもあり、
弾ききった自信と喜びと少しの反省もある、
生涯、忘れることのできない1日だったことでしょう。

『3年間の感謝と、音楽ができる喜びで精一杯弾きました』という生徒のコメントに、
技術もさることながら、
人としての成長に嬉しさしかありません。

今の若者たちが、
こんな苦難の青春時代をくぐり抜けた先、
どんな未来が待っているのか…。

一生、心に残る卒業演奏会。
思い出すたびに、このパンデミックも同時に付随してくることでしょう。

マスクを外し、
この全てにおいての息苦しさ、
制限された生活から解放されたとき、

彼等が更にのびやかに表現して、
個々の個性を輝かせ、
高く、広い広い世界へ飛び立つのを
2023年を迎える今、

切に願うのみです。

バックハウスと「手」

12月、4時間のみ滞在の東京に行ってきました。
日比谷、銀座界隈を歩きながら、

コロナ前の2019年、
母と手を繋ぎながら、のんびり歩いたなぁ…。
もう、そんなこともできないなぁ…と。
施設で、何もかもわからなくなっている母に少し罪悪感を覚えながら。

母が学生時代過ごした、
大好きな東京に、
年老いてから何度か連れていく機会をいただけたこと、
今更ながら、良かったと思っています。

何故、音楽に携わる人生になったんだろう?
なんてことも考えながら、
母が最初にレールをひいてくれたことに、
若い頃は嫌でしたが、
特に最近、感謝しかありません。

父もよく、
『親は子供が得意なこと、好きなことをみつけるのが役割だ』とも言っていました。

もちろん、
嫌なこともたくさんあります。
私自身、「個」が強いので、
母のレールに乗っかることに反発もしました。

最近、
高校生の合奏に久しぶりにビオラで乗り、
「あぁ、楽しい。音楽を作り出すこと、いろいろな音の中に身を置くこと、
単純に楽しい」と。
嫌なことも浄化され、
母への感謝を実感する瞬間を噛みしめていました。

先日、フランス在住の同級生から、
「今でも、音楽に携わっていられることを羨ましく思うよ」って言われたとき、
改めて、有難いことなんだと、
良いダメ押しをされたみたいでした。

学生時代好きだった、
池田理代子氏の漫画、
「オルフェウスの窓」
レーゲンスブルク〜ウィーン〜ロシアと、
3人の人生を描く大作ですが、

主人公のひとり、
貧しいながらも天才ピアニスト、
イザークが、
スランプに陥ったとき、
実在のベートーヴェン弾きのピアニスト、
バックハウス氏が現れ(お話は架空です)
イザークに言います。

【みんな、それぞれが違う手を持ち違うピアノを弾く…
けれども、確かなことは、

きっと、きみも、僕も、、、
共に美しい音楽に満ちて
生涯を送れるということです】

何かあったとき、
必ずこの言葉を思い出すようにしています。
生きている限りずっと。

先程、
施設で私のお洋服をたくさん作ってくれた、もう短い命だろう母の手を握り、
この手にも感謝です。

やはり遠い松竹座

昨年4月に松竹座のお芝居を観る予定でした。
しかしコロナで休演。

同じ演目が行われるということで、心待ちにしていました。

台風14号接近のため、
予定より1日早く大阪入りし、
観劇の日は大雨かもと思い、
前乗りした日に松竹座の前まで行き、
「明日、また来ます!」という気持ちで、
雑然とした難波をすぐ離れました。

が、すでに、その日から出演者陽性のため休演。

前回は、
大阪入りする前に休演とわかり、
今回は心斎橋あたりで休演と知り、
ほとほと縁のない松竹座。

空いた観劇の日をどうするか…。
ちょうど、
劇団四季が『オペラ座の怪人』を上演中。
当日、窓口でチケットがあればいいか…くらいの気持ちで、
大阪四季劇場に向かいました。
少しチケット残っていましたが、
この席でS席???と、
ちょっと不満げな私ですが。

よくよく考えたら、今年の発表会の全員合奏は『オペラ座の怪人』から2曲。

これも縁と思い、
初演に観劇したきり、
ほぼ忘れている舞台をしっかり観させていただきました。

《アンドリューロイドウェーバー》はイギリスの作曲家。

有名どころの曲は、
まぁ、皆さんご存知でしょうが、
他の曲達は、なるほど、イギリスっぽい…と思いながら、
ミュージカル『ファントム』との違いを観察していました。

観客が怪人に心入れしてしまうのが『ファントム』の方。

ラストの終わり方の違いも、
『オペラ座の怪人』は続編ができるようになってるわ、と、
なんだか分析しながら観ていました。

 

ただ今、発表会の合奏曲編曲真っ最中。
劇場で音楽を聴きながら、
このオブリガートが耳につくから、これ付け加えよう…と、
一応、観劇して収穫があったのかなと思っています。

今回は松竹座の前まで行けても中に入れず。
舞台が観たかった…
という想いにかられながら、
いまだに、遠い遠い松竹座でしたが、

ホテルから近い四季劇場で、
1月の発表会に向け、
得たものはありました。

台風のため、観劇後、
外に出たら百貨店はじめ全ての店舗が休業。
夕食はどうしたものか…
滞在後、
帰りの新幹線、事故のため新大阪で待ちぼうけ…

いろいろありますが、
不測の事態でも、
変換して何か得られれば良しとして。

予定通り行われることも有難いですが、
計画通りいかないこともまた面白い。

被害に遭われた方々にお見舞いの気持ちを忘れず、
不思議な大阪入りでした。

ザハール.ブロン氏来日

2022.8.28、日曜日。
宗次ホールにて、
ザハールブロン先生と
愛弟子、服部百音さんのコンサートがありました。
御歳74歳と22歳。

ブロン先生といえば、数々の素晴らしいヴァイオリニストを輩出しています。
ヴェンゲーロフ、レーピン、樫本大進、庄司紗矢香、神尾真由子etc(敬称略)

このコロナ禍、
ロシア、ウクライナをはじめ、
古き欧州から近代の欧州を、
地理と時空を旅させていただいているようなプログラムでした。

百音さんのハチャトリアンは
若さ溢れるエネルギッシュな演奏。
ブロン先生のブラームスは、
何か悟りきったように穏やかで、
音色の変化、美しさ、ピアノとの掛け合い、
けれども、強い主張もあり、
ずっと聴いていたいブラームスでした。

私も年齢を重ねたからか、
季節的なものもあるからか、
秋の落ち着き、心地良さを感じ、
素晴らしいブラームスに出会えこと、
感謝です。

 

他のどの曲も、素敵な空間と共に、
ひとつひとつのフレーズが、物言いたげに、
いろいろな声音で、魅力させてくれます。

あっという間のプログラム。
充実した時間だったのでしょう。

宗次ホールは終演後、
ロビーで演奏者との交流がありますが、
今は無理なので、
アンコール前の舞台撮影許可がでました。

久々に名古屋で、
昼下がりの上質なコンサート。

豊かな気持ちにさせていただいた一日でした。

小さな喫茶店

母の介護度が進み、
毎日、側に居る時間が増えていきます

ひとりで、自由気ままに、
どこにでも行くタイプだったのですが、
コロナもあり鬱積する日々です。

ですが、少し前、
用事もあったため、母を預け、
足を伸ばし、ひと息つくため
梅田の阪急百貨店の老舗カフェに入りました。
普段ならとても並ぶカフェですが、
平日夕方だからか、
すんなり入れ、のんびりでき、
空間と時間と美味しいお茶を楽しみながら、久々の感覚で、
癒されました。
贅沢な時間でした。

母は、
西洋の綺麗なメロディーラインの歌が好きな嗜好。

『小さな喫茶店』
皆さんあまり知らない歌ですが、
1928年、ドイツ.ベルリンで発表されたコンチネンタル.タンゴ。
1934年、日本に入ってきました。

子供の頃から、母が歌っていたのを聴いて、
完全に昭和の懐メロと思っていましたが、
「なぜ、タンゴっぽいんだろう?」
と、不思議に思い、
何気にこの洒落た歌が私も耳についていました。
歌詞も昭和初頭にしては可愛らしい歌詞と言い方。

最近、母を介助するとき、
この歌を歌うと、母も一緒に歌い出します。
子供のようです。
可愛らしくも感じます。

当然、お互い思うようにいかないとき、
母が子供のように怒るとき、
歌うと、私のイライラも吹っ飛び、母も、記憶はすぐ飛ぶので、何事もなかったかのように歌い出します。

歌の力は凄い…と、介護を通して、再認識しました。
腹が立つことがあると、
自分自身、この歌が歌えるかどうかで、
自身の心のバロメーターにしています。
母に苛立っていると、この歌は私の口からは出てきません。
まだまだ、心が狭い…と反省しながらも、やっぱり、出てきません。

まだ、一緒に歌うことも多い?と思いますが、

今は、汗を流しながら、
自身の気持ちを鎮めるため、
母の気分が良くなるために歌っています。

いつか、この歌をひとりで口ずさむとき、

涙に変わるんでしょうね…。

夏の光と影

7月、
高校の定期演奏会に、
生徒がシベリウスのコンチェルトで出させていただきました。
3年間一生懸命頑張り、この曲にかけていた姿は、
高校生ながら、尊敬の念も感じました。

日本人が、ましてや高校生が
北欧フィンランドのことを感じようと思っても、
なかなかヒントがありません。
歴史、自然、国民性、
昨今は、ウクライナ関係で、北欧がどのような方針になるのか、目が離せない状態ですが、
それでも、遠い国です。

しかし、
ホールの澄んだ空気、
張り詰めた空間で、
今の彼女なりに聴衆を魅了させ、
見事にシベリウスを弾ききってくれました。

8月には、
ハンガリーからリスト音楽院の教授陣が来日され、
レッスンが行われる予定でしたが、
突然の感染者増加。
残念なことに、中止になってしまいました。

コロナ禍で高校に入学し、
プラハ、ザルツブルク、ウィーンの修学旅行も行けず、
リスト音楽院、プラハ音楽院のレッスンも受けれず、
なんとも可哀想な世代です。

当然、私達の世代はこのような贅沢な環境ではありませんでしたが、
世界が近くなった昨今、
多感な時期に、
異国のエッセンスを吸収するチャンスがある。
乗らない手はありません。

最初から無かったチャンスと、
用意されていたにも関わらず、
世界的なパンデミックで、手にできないもどかしさ。
悔しさは違ってきます。

シベリウスは、
フィンランドが帝政ロシアから独立しようと抗い続けるなか、
フィンランドの国土を投影するかのような国民性豊かな作品を生み出しました。

特にバイオリンに愛着があったのにも関わらず、
始めるのが遅すぎた…と演奏家になるのを断念した人生でもあります。

しかし「フィンランディア」のように第二の愛国歌として、世界中に知られるようになるほど、
北欧を代表する作曲家です。

北欧の、
夏の沈まない太陽。
裏腹に、冬の厳しさ。

日本の頑張っている若者も、
この夏、
同時にそれを体感しています。

2017-2024 岩﨑バイオリン教室