夏空の慈雨

2023.8月25日.早朝。
母が息を引き取りました。

すぐに施設に駆けつけ、
息を引き取ってから1時間くらいであろう、
まだ、温かな手をさすり、
90年、よく頑張ったと、
返事をするかもしれないと思いながら、
「お母さん…」と、優しく呼んでみました。。。

なかなか個性的な母で、
父の闘病生活もあったため、
人一倍、気が強く、
子供達を育てるのに必死でした。

さだまさし氏の短編小説、
『解夏(げげ)』

仏教用語で、
僧侶が雨季に籠っての修行から
解放されることをいいます。
苦しみから解き放たれる。

たぶん、
母も私も『解夏』を感じた瞬間だったと思います。

私の中では、
『哀しみ』というより、
母には、
私のできることは全てやり尽くした、
苦しいこともいっぱいでしたが、
そんな人生経験と
最後の親孝行の時間をいただけたこと。
父との約束も守れたこと。
「これで良かったのだ…」という満足感。
悔いはありません。

母も、ここ何ヶ月もの間
「ありがとう、すみません、ごめんね」しか言いませんでした。

最期の時を、この言葉で締めくくれたことが、
母の業が昇華されていくようで、
娘として一番嬉しかったです。

8/14から毎日、
バイオリンを持って、母の好きな曲を弾けたことも、
施設スタッフ皆様のおかげですし、
そして、バイオリンを習わせてくれた両親のおかげです。
バイオリンは持ち運べますものね。

赤塚不二夫氏の『天才バカボン』の
パパ、
「これでいいのだ」は
「ありのままを受け入れる」ということらしいです。
(バカボンの真髄はとても深いです)

『親ガチャ』とかいろいろな言葉が飛び交い、
他人と自分を比べ不平不満を言う。
なんとバカバカしいことか…。
もちろん非道な親も現実にはいますし、人間には嫉妬心があります。
当然、愚痴もでます。

『ありのままを受け入れて』
心の安寧を築き、
自身の生き方を肯定する。
これが、苦しみから解き放たれ、
心の幸せを得ることでは。

経験無くして、真理はつかめない、と、心底感じました。

あれほど
「帰りたい、帰りたい」と言っていた母。
自宅経由で施設を出ました。
急に、スコールのような雨が。。。

お骨になった母と共に自宅へ戻ろうとしたら、
突然、大粒の雨が。。。

母のうれし涙なのか…
きっと、そうだと信じています。

お盆過ぎとはいえ酷暑に、
潤いの慈雨のタイミングが
なんとも不思議でした。

お母さん、
ありがとうございました。

母がくれた夢の2日間

8月11日。
宝塚のSS席4列目で観劇。
客席降りでトップスターさんが横に。

次の日、8月12日。
安奈淳さんのランチショー。

そして夜は、
柚希礼音with紅ゆずる.真風涼帆のディナーショー。

信じられないくらい、
贅沢にもチケットが取れてしまい、
今年の運は全部ここで使ってしまったと確信した2日間でした。

安奈淳さんは、
以前も書きましたが、
75歳でも、声量があり粋で味がある素敵な歌声。
ご病気され余命3日と宣告されてからここまでの復活。

安奈さんのプログラムで知ったことですが、

タンゴ『ジェラシー』は、
デンマークのバイオリニスト、
ヤコブ.ゲーゼが作曲したコンチネンタルタンゴ
(何度もカルテットで弾いたことありますが、知らなかった)

『SHE』
映画「ノッティングヒルの恋人」でE.コステロが歌い、耳馴染みがあると思いますが、
本来は
C.アズナプールの歌。
シャンソンだと、初めて知りました。

今回は、
なんと最前列!
安奈さんを、見上げなくてはいけないくらいの距離。

…やはり運を使った…

しかも、お隣りの席は、
OSKの元トップスターさん。
お隣りのテーブルには元タカラジェンヌ。

とにかく歌声ひとつで、ここまで魅了させられる安奈淳さんは素晴らしい…と余韻に浸るなか、

帝国ホテル大阪をあとにして、
梅田の阪急インターナショナルへ。

…台風の心配もしながら…。

柚希礼音さんのディナーショーは、これまたパワフル過ぎてカッコ良く、
元トップ3人のトークも面白くて
ホテル側が終われとの鐘が何度も。

安奈淳さんと柚希礼音さんは、
35年の時を経て、
同じ演目の同じ主役をしたため、
『アマール.アマール』という大好きな曲を
同じ日にお二人から聴くことができ、まさに奇跡です。

全国の多くのファンが観たいがため、
昼夜2回公演がライブ配信に。
とにかく楽しくて、
こんな贅沢な日があるのだと、びっくりです。

終わってからスマホを見たら何度も施設から着信があり、
母が、熱と酸素飽和度が低くなっていると…。

夜遅かったので、
「なんとか、命はもって欲しい」と祈りながら、
次の日の7時台の新幹線で即岐阜へ。

すぐ施設へ行き、様子を見て、
残り少ない命だろうと確信しながらも、
もし、8/11に連絡入っていたら、二つのショーは観れなかった…
この2日間、子孝行してくれたと、
手を握り、
母の好きな歌『小さな喫茶店』を傍らで歌っていました。

『小さな喫茶店』も『ジェラシー』と同じ頃に作られたコンチネンタルタンゴ。

お盆に、
施設のスタッフさんに許可をいただき、
母の部屋で、母の好きな
『愛の讃歌』『サントワマミー』
『すみれの花咲く頃』
『小さな喫茶店』を
バイオリンで弾かせていただきました。

「この曲何?」の問いかけに、
何を弾いても、
小さな、少し苦しそうな声で
『愛の讃歌』と。

『タイスの瞑想曲』が好きだった父には、命尽きる間際、
聴かせてあげることができませんでしたが、
虫の息でも、一生懸命生きてる母に、
少しでもバイオリンを聴いてもらおうと、
学生の頃のように楽器を背負って、
鼻歌で『小さな喫茶店』を歌いながら、
施設まで、歩いています。

明日も明後日もバイオリンを背負って行くつもりです。

そういえば、帝国ホテルのSNOOPYの小さなぬいぐるみは、
母と一緒に行ったとき、
母が欲しがって購入し、
今も、我が家のドアマンをしてくれています。

Quartet.KAN…まっしぐら???

2023.8/5.6の2日間、
「名フィルの日」と題して、
団員さんが、様々な組み合わせで
多くのアンサンブルを披露していました。
1日券を購入すれば出入り自由です。

友人が2ndバイオリンとして、
名フィルの
首席客演コンサートマスターに就任されている
荒井英治先生と一緒にカルテットを演奏するということで、
来年、閉館になる、
しらかわホールに向かいました。

カルテットの4人登場…

猫Tシャツにジーンズ。
荒井先生、赤い靴下…。
やたらラフ。でも、なんだかいい。
そっか、、カルテット.カンだから、
カル=缶…まっしぐら…ね笑。

四匹の猫たち(失礼!)

曲目は、音が発せられるまで秘密。
…発せられても秘密。

いきなり、弦楽四重奏でヘビメタ!

びっくり!!!

でも、なんの違和感もない。
団員の皆さまの技術があってこそのヘビメタ演奏。
演奏者ノリノリ。
荒井先生なんて、グルーヴィで本当に楽しそう。

暫く呆気にとられ、

次は、
ヒンデミット「ミニマックス(軍楽隊のためのレパートリー)」

これも、とにかく面白いのと、
やはり技術と演技力?がないと聴衆を楽しませることができないであろう曲。

わざと音程を外したり、
2ndバイオリン、ビオラが、席を立ち、
ドナウ川の向こうでトランペットを吹いている、という設定で、
後ろで立って弾いたり。
ハーモニックスばかりのメロディあり。
楽しいマーチあり、甘く美しいワルツあり。
茶目っ気たっぶりのプログラム。

そして、JAZZ。
「インディゴの夜」
「A列車で行こう」
ピアニッシモのところが美しくて、
「こういう空間が素敵」と
酔っていました。

弦楽というとお堅いイメージかもしれませんが、
実は、奏者それぞれ、いろいろなジャンルの音楽が好きで、
ヘビメタだろうがJAZZだろうが、
テクニックとセンスで、
奏者が心から楽しんでいるのを
受け取ると、
聴衆も、眼から耳から、その空間の空気を感じて、
一体感で楽しくなります。

クラッシックの弦楽○重奏曲も
とても素敵ですが、
今日は、なんだか、
良い意味で意表を突かれ、

【楽しげに餌にまっしぐらの四匹の猫たち】を(再度、失礼!!)

こちら側で、
最初は、ぼう然と眺めながらも、
その姿に癒されたり、元気が湧いたり、取り憑かれたように凝視したり、身体が自然に動いたり、
とにかく楽しい瞬間でした。

おもしろかった…。
…これに尽きます。

パリ祭から思うこと

2023.7月14日.
岐阜のメゾンクチュール.みねこ様主催、
日仏協会後援のパリ祭に、
ヴァイオリン演奏でお邪魔させていただきました。

ソシアルダンス、シャンソン、ファッションショーと盛り沢山で、
華やかな宴でした。

1789年7月14日
民衆が君主政治の象徴である
バスティーユ牢獄を襲撃したのを発端に、フランス革命が勃発。
そして、一年後、革命記念日となり、のちにこの日をパリ祭と。

今現在も、パリでの暴動が気がかりではありますが…

母の影響なのか子供の頃から
越路吹雪さんが好きで、
越路さんがテレビに出演されると必ず観ていた、
ちょっと同世代とは違う嗜好の私でした。

今回はシャンソンの曲ばかりを弾かせていただき、
心踊るひとときでした。

行く道すがら、
とても素敵な花が咲いていたので調べてみたら、『ムクゲ』と知り、
古の初期の華道では「禁花」と言われ、忌み嫌われていた花だとか。
こんなに可愛いのに…

花の儚さが、一期一会に繋がると、千宗旦が好んで使うようになり、
江戸中期からは一般的に。
夏の茶花としては欠かせないそうです。

フランス革命、
民衆が王政に反旗を掲げ、
パリでは多くの血が流れ、
その後も恐怖政治で多くの人が断頭台へと。
多くの犠牲の上に共和制が築かれ、
この7月14日は、王政を倒す契機となった象徴としてお祭りに変わっています。

ムクゲにしても、
パリ祭にしても、
今に至るまでの歴史があります。

ウィーンで購入してきたレース生地。
施設でもうろうとして動けなくなった母が作ってくれたドレスを、
もう、お直しもしてもらえない…。
このドレスにも歴史がある。
大切にしなくては…と。

眼も見えなくなっているので、
毎日会いに行くと、
手をぎゅ〜っと握ってきます。
この手で全てのドレスを作ってくれた娘への愛情を感じる日々です。

 

ムクゲは、
「花は一日の命だが、その生を全うする」
『今』が大切なのだと、
この可愛いお花から教えてもらいました。

ちなみに、ムクゲの花言葉は
『慈しみ』です。

桜咲く適塾〜教授散る

大阪船場の本町に午前中所用あり、
昼下がり、芦屋に行かなくてはいけなかったのですが、
少し時間があったので、
歩いて淀屋橋方面に向かいました。

ちょうどお昼時、
たくさんの人々の賑わいのなか、
緒方洪庵の『適塾』発見。

適塾の前を目もくれずランチ目的の人々をよそに、
そこだけ時空が違う空間、
古式蒼然とした佇まい、
現代の商業ビルのなか、
不思議な違和感を覚え、
足を止めてしまいました。
隣家には一本の桜が。

適塾は、
コロナ禍が始まった頃のブログにも書きましたが、
緒方洪庵が、蘭学、医学を志す若者のために作った学校。
日本を牽引してきた多くの著名人がここで学び、
岐阜出身者も多く、なんだか誇らしく感じました。

落ち着いた居室、よくお手入れされている庭、
びっくりしたのが、
外廊下の狭さ、これですれ違うのは、誰かが庭に降りないと…。
階段の一段の高さと、幅の狭さ。
私の足でも飛び出てしまい、
上るには体力使うし、下りるには、かなり怖い。
昔の人は今のような体格でないとはいえ、
たくさんの若者がここを上り下りし、
切磋琢磨していたかと思うと、
当時の喧騒が聞こえてきそうです。
塾生たちはこのコロナ禍を
どう乗り切ろうとしたのだろう…。
想像が膨らみます。

外に出ると普通に現代のランチタイムの往来。
私だけがタイムスリップしているようで、
まさに「JIN」の世界でした。

きっと、
当時の船場の活気からして、
たくさんの往来と、たくさんの塾生で、
常に賑わっていたのでしょう。

議論伯仲、喧々ごうごう、
人々の話し声のBGMが聴こえてきそうです。

一転して、
芦屋での落ち着きと、
これまた、
所用で訪れた日本建築の閑静な佇まい。

芦屋川の桜、
柔らかな風と、眼に優しい自然色、
薄桃色の傍で、
早くも、わずかに舞う花びらを
ただただ見つめるだけの贅沢な時間

桜を愛でるBGMは、
知らない人との穏やかな会話、
楽しげな子供の声、
そして、刹那的な桜を静かに見守るゆるりと流れる水音。
いろいろなBGMがあっていい。

ブログを書いてたら…

…『教授』坂本龍一氏の訃報が入ってきました。
私達の世代には憧れの存在です。
YMOのときとは違う、
呼吸のようなピアノの音色がテレビから聴こえてきます。

桜満開の頃、作品を遺し、
散り急ぎの感がかなり残念ですが、
見事な咲き様でした。
ご冥福をお祈りいたします。

ミモザのような小さなヴァイオリニストたち

2023.3.19(日)
岐阜国際会議場メインホールにて、
岐阜県交響楽団の企画で、
オーケストラをバックに
園児〜小学2年生までの『ちびっ子ソリスト』15人が、
ゴセックの「ガヴォット」を演奏させていただきました。

私の生徒も5人出演させていただき、
とても貴重な経験をさせていただけたこと、岐響さんに感謝です。

各々が一生懸命お家で練習しても、
みんなで合わせると、
子供達の個性はそれぞれ違うので、
なかなか合いません。

みんなの呼吸をどのように合わせたらよいのか…

どのようにしたら指揮者を見るようになるのか…

 

岐響さんから、指導のご依頼をいただき、
子供達が楽しみながら合わせられるアイデアを考え、
本番前日、30分の練習で、
なんとか息が合うようになりました。
個性は個性のままで。

リハーサル

さて本番…
紳士、淑女に変身した小さなヴァイオリニスト達は、
笑顔で舞台に上がり、
舞台袖のモニターをみつめる私達は、
曲の途中途中、
合っていく瞬間に、
「良かった! やったね! みんな頑張った!」と小さな声をあげ、
涙している方もいました。
みんな誇らしく立派でした。

…ミモザの季節…
小さな小さな、黄色に輝く花々が集まり
思わず眼を奪われてしまうミモザの樹々。

小さなヴァイオリニスト達が、
ひとりひとり練習して明るく光り、
全員でひとつの曲を披露する姿は、

ミモザに負けないくらいの黄金の輝きを、、、
とても純粋で愛らしい輝きを、、、

舞台の上で眩しく放っていました。

岐阜新聞より

半世紀続ける…

コロナ、インフルエンザが蔓延するなか、1/21に、無事
発表会を終わらせていただきました。

お正月を挟んだにも関わらず、
皆さんよく頑張られたと思います。

一年半毎の発表会。
夏と冬。かなり過酷な季節の発表会ではありますが、
まず、ひとりの欠席者もいなかったことが、なにより、嬉しかったです。

小さな子供達は教則本を地道に練習し、
そこからちょっと背伸びした曲選び。
何年も頑張ってきた生徒さんは、
今年は、
ベリオ、バッハ、ヒンデミット、パガニーニ、シベリウス。
難曲に取り組み、それぞれが、堂々と立派に弾いてくれました。
続けてきたからこそ、身についたことです。
いつの日か、そのことに喜びを得ることでしょう。

合奏も
小さな子供達での「メヌエット第3」

全員で「オペラ座の怪人」

次の日、
魂の休息…ということで、
兵庫県立芸術文化センター大ホールにて行われた、
アロージャスオーケストラをバックに、
安奈淳、上田正樹、etcのコンサートに行ってきました。

上田正樹さんは、生で聴くと
エネルギッシュで
グルーヴ感が細胞単位で動いてて、
とても、73歳とは思えない。
けれど、そのお歳だからこそ出てくる渋さ。

ブルースにのめり込んだきっかけも
面白可笑しくお話下さり、
あとから調べたら、
岐阜高校〜岐阜大学ということにビックリ!。
お父様が京大合唱部だったため、
自分はベートーヴェンが好きと、
(ホントかウソか、笑いが起こっていました)
第九をブルース調に歌われたり。。。

さて、お目当てだった、
私の子供の頃のスターさん。
元宝塚の四天王のひとり、
安奈淳さん。
約50年前に、舞台を観て、一気に魅了され、
歌が上手く、可愛くもカッコよくもあり、子供心に憧れのお姉さん?なのか、お兄さん?なのか…???
ものすごく遠い存在だったスターさん。
今回は企画の知人からのお誘いということもあり、
安奈さんの眼の動き、瞬きさえわかるほどのSSS!席。
「安奈淳さんに歌ってほしいリクエストはありますか?」と知人から尋ねられ、
リクエストした懐かしい歌を歌って下さったときには、
驚きの声をあげてしまいました(小さくです笑)

上田正樹さんよりも年上の安奈淳さんが、
今でも現役で歌える。
ご病気もされましたが、
長年、レッスンを積んで、
日々の練習を怠らずされていたからでしょう。

今でも透き通るような肌に大きな眼。美しく輝やいていらっしゃいました。
根っからの関西人で、
力の抜けた感のお話も面白いのですが、
なんともチャーミングで品格のある「華」を感じます。

子供の頃の私に伝えたいくらいです。

【50年後に、ものすごく近くで安奈淳さんに会えるよ。
そして好きな歌を目の前で歌ってくれるよ】って。

長い年月を経ても芸事が披露できる。

安奈淳さんの歌一筋の生き様に、
尊敬と、子供の頃と同じ満面の笑みで拍手をしている私でした。

生徒さん達も、
どんな形であれ、
長くバイオリンに携われる人生になってほしいと、
皆さんの50年後の演奏は、私はもう聴けないでしょうが、
空から楽しみに耳を傾けています。

この3年間これからの未来

世界がパンデミックになり、
世の中が変わり始め、
入学してきた生徒たちが、
今年、高校を卒業します。
初対面はオンラインでのレッスンでした。

マスクを付けた顔の印象が強いままです。

修学旅行も無くなり
『青春は密』と、
高校野球の監督も仰るとおり、
自身の学生時代を思い出しても、
濃かったと思います。

それでも3年間頑張り続け、
きっと友との絆も深くしたであろう
高校生の卒業演奏会が、
先日、無事、終了しました。

皆さん、
お疲れ様でした。
素晴らしかったです。

私の生徒も、
プログラム最後の演奏ということもあり、
この長い1日を、
良い経験でもあり、
緊張続きの連続でもあり、
弾ききった自信と喜びと少しの反省もある、
生涯、忘れることのできない1日だったことでしょう。

『3年間の感謝と、音楽ができる喜びで精一杯弾きました』という生徒のコメントに、
技術もさることながら、
人としての成長に嬉しさしかありません。

今の若者たちが、
こんな苦難の青春時代をくぐり抜けた先、
どんな未来が待っているのか…。

一生、心に残る卒業演奏会。
思い出すたびに、このパンデミックも同時に付随してくることでしょう。

マスクを外し、
この全てにおいての息苦しさ、
制限された生活から解放されたとき、

彼等が更にのびやかに表現して、
個々の個性を輝かせ、
高く、広い広い世界へ飛び立つのを
2023年を迎える今、

切に願うのみです。

バックハウスと「手」

12月、4時間のみ滞在の東京に行ってきました。
日比谷、銀座界隈を歩きながら、

コロナ前の2019年、
母と手を繋ぎながら、のんびり歩いたなぁ…。
もう、そんなこともできないなぁ…と。
施設で、何もかもわからなくなっている母に少し罪悪感を覚えながら。

母が学生時代過ごした、
大好きな東京に、
年老いてから何度か連れていく機会をいただけたこと、
今更ながら、良かったと思っています。

何故、音楽に携わる人生になったんだろう?
なんてことも考えながら、
母が最初にレールをひいてくれたことに、
若い頃は嫌でしたが、
特に最近、感謝しかありません。

父もよく、
『親は子供が得意なこと、好きなことをみつけるのが役割だ』とも言っていました。

もちろん、
嫌なこともたくさんあります。
私自身、「個」が強いので、
母のレールに乗っかることに反発もしました。

最近、
高校生の合奏に久しぶりにビオラで乗り、
「あぁ、楽しい。音楽を作り出すこと、いろいろな音の中に身を置くこと、
単純に楽しい」と。
嫌なことも浄化され、
母への感謝を実感する瞬間を噛みしめていました。

先日、フランス在住の同級生から、
「今でも、音楽に携わっていられることを羨ましく思うよ」って言われたとき、
改めて、有難いことなんだと、
良いダメ押しをされたみたいでした。

学生時代好きだった、
池田理代子氏の漫画、
「オルフェウスの窓」
レーゲンスブルク〜ウィーン〜ロシアと、
3人の人生を描く大作ですが、

主人公のひとり、
貧しいながらも天才ピアニスト、
イザークが、
スランプに陥ったとき、
実在のベートーヴェン弾きのピアニスト、
バックハウス氏が現れ(お話は架空です)
イザークに言います。

【みんな、それぞれが違う手を持ち違うピアノを弾く…
けれども、確かなことは、

きっと、きみも、僕も、、、
共に美しい音楽に満ちて
生涯を送れるということです】

何かあったとき、
必ずこの言葉を思い出すようにしています。
生きている限りずっと。

先程、
施設で私のお洋服をたくさん作ってくれた、もう短い命だろう母の手を握り、
この手にも感謝です。

やはり遠い松竹座

昨年4月に松竹座のお芝居を観る予定でした。
しかしコロナで休演。

同じ演目が行われるということで、心待ちにしていました。

台風14号接近のため、
予定より1日早く大阪入りし、
観劇の日は大雨かもと思い、
前乗りした日に松竹座の前まで行き、
「明日、また来ます!」という気持ちで、
雑然とした難波をすぐ離れました。

が、すでに、その日から出演者陽性のため休演。

前回は、
大阪入りする前に休演とわかり、
今回は心斎橋あたりで休演と知り、
ほとほと縁のない松竹座。

空いた観劇の日をどうするか…。
ちょうど、
劇団四季が『オペラ座の怪人』を上演中。
当日、窓口でチケットがあればいいか…くらいの気持ちで、
大阪四季劇場に向かいました。
少しチケット残っていましたが、
この席でS席???と、
ちょっと不満げな私ですが。

よくよく考えたら、今年の発表会の全員合奏は『オペラ座の怪人』から2曲。

これも縁と思い、
初演に観劇したきり、
ほぼ忘れている舞台をしっかり観させていただきました。

《アンドリューロイドウェーバー》はイギリスの作曲家。

有名どころの曲は、
まぁ、皆さんご存知でしょうが、
他の曲達は、なるほど、イギリスっぽい…と思いながら、
ミュージカル『ファントム』との違いを観察していました。

観客が怪人に心入れしてしまうのが『ファントム』の方。

ラストの終わり方の違いも、
『オペラ座の怪人』は続編ができるようになってるわ、と、
なんだか分析しながら観ていました。

 

ただ今、発表会の合奏曲編曲真っ最中。
劇場で音楽を聴きながら、
このオブリガートが耳につくから、これ付け加えよう…と、
一応、観劇して収穫があったのかなと思っています。

今回は松竹座の前まで行けても中に入れず。
舞台が観たかった…
という想いにかられながら、
いまだに、遠い遠い松竹座でしたが、

ホテルから近い四季劇場で、
1月の発表会に向け、
得たものはありました。

台風のため、観劇後、
外に出たら百貨店はじめ全ての店舗が休業。
夕食はどうしたものか…
滞在後、
帰りの新幹線、事故のため新大阪で待ちぼうけ…

いろいろありますが、
不測の事態でも、
変換して何か得られれば良しとして。

予定通り行われることも有難いですが、
計画通りいかないこともまた面白い。

被害に遭われた方々にお見舞いの気持ちを忘れず、
不思議な大阪入りでした。

2017-2024 岩﨑バイオリン教室